2013年3月7日木曜日

マーサ、あるいはマーシーメイ

監督:ショーン・ダーキン

 ファーストショットに度肝を抜かれる。手前の赤いタオルと奥のジョン・ホークスがパンフォーカスで捉えられていて、最初からいきなり遠近感を揺らされる。
 冒頭の数ショットは本当に見事だと思う。
 そして”コミュニティ”のみんなが寝静まっている中、エリザベス・オルセンが小屋を出ていき、そこから長回しで彼女をフォローする。ここで窓越しにオルセンを見ている女性を捉えているのが見事だ。そしてオルセンが森の中へ消えていくショット。これはジョン・ホークスの主観ショットなのだろうか。なぜそう思わされるかと言えば、前述のように窓越しにオルセンを見る女性をしっかりカメラに収めているために、「オルセンへの視線」を意識させられるからである。
 ちなみにこの映画には明確な主観ショットは皆無である(せいぜい森の中の銃の練習で、真正面にビール瓶を捉えるショットぐらいである)。が、ダンカン・ジョーンズの視点にはゆるぎがない。
 籠の中の乙女であったりSHAMEといった近年のインディ系の映画によく見られる、フィックスによる持続を多用した映画の一種であると思うが、そうでありながらそれらの作品群とは一線を画する独創性がある。これらのインディ映画群(それほど見ていないけれど)は、しばしば画面そのものよりも「フィックスによる持続」自体を売りにしてるとしか思えないショット(要するに無駄に長く、それ故になんか前衛的っぽい感じ)が見られたが、この映画にあってはフィックスの強度そのものが非常に大きいので、画面の緊張感が尋常ではない。湖の見事な撮影。オルセンが最初に湖で泳ぐのを後ろから捉えたショット!

 扉の開閉にも極めて自覚的だ。家を舞台にしていながら、扉の開閉は全部で10回程度だと思われるが、それら10回の開閉は極めて印象的なシーンである。
 まず前述した最初にオルセンが小屋を出て行く時の扉の開閉、あるいは二回目はオルセンを追ってきたコミュニティの一員がオルセンを威圧したあとに店を出て行くショットで、フォーカスは手前のオルセンにあっていながら、後ろの扉の存在感が見事だ。
 あるいはオルセンがホームパーティで激高するシーン。ここでオルセンの姉とその夫が彼女を寝室へと誘導する。よく見ていただきたいのが、夫の方はオルセンを寝室に入れてそのまま外からドアを閉めようとし、それを姉が阻み、オルセンの元へと駆け寄っていくのだ。つまりドアの開閉という運動を通して姉とその夫のオルセンに対するスタンスが一瞬のうちに対比されているのである。ここは全く見事な演出である。
 また、オルセンの運命を狂わせた最大の事件としての、邸宅における惨劇を描いた場面でも、玄関のドアを開けた瞬間にカメラが外から玄関内を捉え、壁の影から女がスーっと家主の背後に現れるショットとなる。人物の配置と間合いにおいて完璧なシーンと言える。
 そして最後の扉の開閉は、コミュニティ内において、トイレに閉じこもったオルセンのもとにジョン・ホークスが突入するシーンであり、ここはこの映画で唯一ジョン・ホークスがオルセンに怒りを表す
場面で、役者の好演もあって凄まじい迫力だ。
さらにこの直後の階段でのひと悶着も全く見事なカメラワークだ(窓の外の椅子とテーブル!)。中盤若干だれるのだが、これらの終盤の圧倒的な展開によって見事に復活したと言っていい。
 以上のように、扉の開閉のたびに事件が起こる映画である。あるいは扉の開閉そのものが事件となっている。これこそがサスペンスだ。


 ※表現先行になりがちな部分がないわけではない。例えばオルセンが現在のパートにおいて湖に飛び込む瞬間にカットが割られて回想パートでオルセンが川に飛び込みコミュニティのメンバーと全裸で戯れるというのも、実は全裸で戯れてるだけで、このショット自体にあまり必然性が感じられないために「2つの飛び込みシーンのモンタージュ」という目的ばかりが目立ってしまっていると思う。要するにちょっとあざとい。
 


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