2019年11月19日火曜日

ポーランド映画祭その3 愚行録

監督:石川慶

2017年の公開以来2回目の鑑賞となった。補足しておくと、石川監督は2002年にポーランドの国立映画学校に入学して、そこで映画を学んだあと、本作で日本映画の監督デビューとなったという関係で、今回の映画祭でも上映された。

初見時は冒頭からのただならぬ雰囲気に魅力を感じたものの、なんとなく判断を保留にしていたこともあり、劇場で再見できるチャンスを逃さない手はないと思って行った。結果、相当見ごたえのある力作との思いを持った。
初見時は、満島ひかりの「狂気」の理由を解き明かすミステリーとして見たのだが、思っていたより満島ひかりのパートは多くなかった。むしろそれぞれのキャラクターの大学時代のエピソードが、かなり均等なバランスで描かれているし、また2回見てみると、それらのエピソードに対する作り手の視点が決して画一的なものではなく、多面的な解釈を許すものであることに気づく。妻夫木聡演じる記者の、語り手に向ける視線だけでなく、それに対する作り手側=カメラの視線が微妙にズレているようにも見える。そのズレがさらに、見ている観客に投射され、我々自身の足場が揺さぶられる。
例えば、臼田あさ美(好演!)の言う内部生と外部生という括りは、果たして「実在」するのだろうか。確かにヒエラルキーらしきものは見え隠れするが、一方で臼田あさ美演じる女子大生自身が、そうしたヒエラルキーを過剰に内面化しているために、見える景色が歪んでいるのではないか、とも思えてくる。オープンテラスのパーティでの、ややわざとらしい仰角のショットは、内部性と外部性の関係を象徴的に見せるが、しかしそれゆえに、その「上下の階級関係」が虚実ないまぜな状態で我々に問いかけているようにも見えるのだ。
ところで、臼田あさ美が松本若菜にビンタを食らわせるシーンは、臼田あさ美と付き合っていた中村倫也が松本若菜に乗り換えたからなのだが、この浮気のシーンを省略しているのが潔いというか、描くべきものがブレていないという印象を受ける。あるいはそうした決定的な場面がないからこそ、松本若菜が魔性の女なのか、臼田あさ美の被害妄想なのか、というあたりに観客の解釈の余地が残されているように思われる。

あと、小出恵介がすごくうまい。というか、彼へのディレクションが素晴らしい。
こういう薄っぺらく浅ましい大学生、今でいうところの「意識高い系の大学生」というのは、いくらでも「パロディ」にできるし、むしろ日本のコンテンツはそれらを無意味に誇張し、パロディ化して良しとする悪習があると思う。例えば、もっともっと歯の浮くような「ポエム(という揶揄は好かないが)」を連発させたり、という選択肢もあり得たのだろう。
しかし賢明にもそうした「戯画化」は最小限にされ、映画は、男女3人の一筋縄では行かぬ力関係を画面に提示してみせるのだ。キャラクターではなく、構造を描く、という意味で、これは骨太な社会派映画だ。
ようやく、日本映画において、パロディに堕さないリアリズムを観れた、という感慨すら覚える。(あのくだらない『シンゴジラ』と比較せよ。あれはすべてが「パロディ」という言い訳でできている。)

カメラの呼吸も地味ながら素晴らしい。病院のラウンジで、妻夫木聡にスーッと寄ったカメラが切り返して、絶句する濱田マリに切り返す間合いなど、絶品である。
思っていた以上に傑作。











2019年11月14日木曜日

ポーランド映画祭 その2 尋問 Przesluchanie

監督:リシャルト・ブガイスキ
主演:クリスティナ・ヤンダ

スターリン時代に舞台女優が偽りの罪状で逮捕されて監獄で拷問、尋問に合うという映画。
監獄映画というのは、振り返ってみると結構傑作ぞろいだ。
ブレッソンの『抵抗』や、ロッセリーニの『ロベレ将軍』、ヘクトール・バベンコは『蜘蛛女のキス』や『カランジル』といった傑作を撮った。
ところで、このブガイスキが82年に撮った『尋問』は、ちょっと凄い。あまり大それたことを言える立場ではないが、数ある監獄映画のなかでも、最強の一本ではないか。冷戦終結後の90年にカンヌで披露されて、クリスティナ・ヤンダが主演女優賞を受賞したようだが、いや全く異論なし。この映画のクリスティナ・ヤンダはちょっと桁違いの破格のパフォーマンス。彼女の一挙手一投足に人類の歴史が、人類の自由が託されているかのような感覚さえしてくる。

K・ヤンダ演じる女優を飲みに誘う男二人組が体制の人間なのだが、この二人によって酔わされ、そのまま監獄に入れられ、そこで酔ったまま裸にされ、着替え、何十人もの女性たちのなかで眠らされる。一夜が明けて酔いが覚めると、突然整列が始まり、理解できないまま狼狽しているとほかの女性達に強制的に並ばされる。このあたりの不条理な展開が徹底した厳しいフレーミングで描写されるのだが、同時にK・ヤンダ演じる女性の逞しさが随所に現れるのが良い。『大理石の男』でもK・ヤンダは落ち着きのないハチャメチャぶりを見せていたが、ここでもそうした路線のパフォーマンスを見せている。中盤以降は監房での女性達とのやり取りと、尋問官とのやり取りが見どころになっていて、これがまた、他に類を見ぬ独創的な表現になっている。どちらのシーンにおいても、時に狂気が支配し、しかしそうかと思えば次の瞬間にはユーモアが流れ、美しい友情の表出があり、同時に乗り越え不可能な不和がある。それらが次々と前触れなく襲ってくる。
特に尋問官たちが茶番劇を仕掛けてK・ヤンダを自供させようとするシーンがあるが、ここで死んだふりをした男がK・ヤンダが倒れてきた勢いで起き上がってしまうという間抜けな展開になっている。死を覚悟したK・ヤンダも思わず大笑いしてしまうのだが、見ている我々観客も笑うに笑えない、しかし笑うしかない、いやこれこそ大笑いだ。この一瞬で感情が大幅に振れる大胆な演出ぶりは、ちょっとほかに例を思いつかない凄さだ。ブゴイスキの確信に満ちた演出と、それを圧倒的パフォーマンスで体現しきるK・ヤンダに最大級の賛辞をおくりたい。













ポーランド映画祭その1 ソリッド・ゴールド(必見!)

恵比寿で細々とやっているポーランド映画祭に行ってきた。少しでもポーランド成分を感じたうえで挑もうと思い、今年のノーベル文学賞をP・ハントケと一緒に受賞したオルガ・トカルチュクの『逃亡派』を移動時間に読んでいたが、旅をテーマにした無国籍的/多国籍的なエッセイ風小説で、ポーランド感一切なし。まぁそれは良いとして。

『ソリッド・ゴールド』
今年製作された純粋なエンタメ映画。監督はポーランド映画協会の会長らしいヤツェク・ブロムスキ。ポーランド映画というと、ワイダをはじめ、ムンク、カヴァレロヴィッチ、ザヌーシなど、大文字の歴史や社会主義体制をめぐるあれこれを題材にした作品が今のところ有名だし、最近も人気のポーランド映画監督といえば、パヴェリコフスキのような人だ。
なので、こういう娯楽に徹したサスペンス映画はちょっと新鮮。そしてそのレベルの高さに驚愕した。
まず、いきなり『SOLID GOLD』のタイトルがグディニャの夜景を背景にバーンと出て、さっそくヤヌシュ・ガヨスが部下を招集するシーンが始まり、瞬く間にターゲットがいるというカジノへ突入。しかし敵に裏をかかれて、女刑事が連れ去られる。そこで強姦を受けるも、隙をついて敵を撃退。しかし彼女は強姦されたショックの方が大きく、事件を詳細に報告することなく、また捜査のミスの責任を負わされ解雇させられる。ここまで10分ぐらい。恐るべきスピード感だが、撮影は艶っぽく、落ち着いたカメラワークで魅せる。
映画は一気に8年後に飛ぶ。そこで新たにポーランドの港町グディニャを支配する銀行マンが捜査のターゲットとして浮上する。ヤヌシュ・ガヨスが捜査を進めることになり、その仲間として8年前に解雇した例の女性刑事を再び復職させる。
ここで彼女が子供を連れたシングルマザーであることが判明し、観客の9割は父親が誰か理解するだろう。
さて、映画は全部で150分以上ある大作で、事態はなかなか複雑である。件の銀行マンと提携する老いた投資家の暗躍、ワインバーの店長の殺害事件、密輸をめぐるロシア・マフィアとのいざこざなど。さらにすでに老年期に入っているヤヌシュ・ガヨスと妻のほろ苦い会話劇。
これだけてんこ盛りなので、かなり場面の転換が多い。しかし上記のごとく、撮影は快調で、過不足のないショットでバンバン活写していくので、全く飽きない。無駄な回想シーン一切なし。くだらない泣かせ演出もなし。最も称賛すべきは、上記のシングルマザーである女性刑事のドラマパートの潔さだろう。
シングルマザーものといえば決まって、「父親の不在」という問題が出てくるし、ドラマの盛り上げ要因とみなされる。本作でも確かに、娘が一度だけ「なぜ私には父親がいないの?」と母に尋ねるシーンがある。それに対して、お茶を濁す母親、というのもありがちと言えばありがちだ。映画はそのことをわかってか、それ以上この問題を執拗に掘り下げることをしない。「なんでパパがいないの?」と娘が泣きじゃくるシーンなど一切なし。強姦シーンのフラッシュバックも一切なし。そんな使い古された表現よりも、二人が車を降りて学校に行くまでの十数秒のやり取りを見れば、母親がどれほど娘を愛し、また知的に育て上げてきたか、そして娘がそれにいかに応えているかが伝わってくるだろう。この、母親が車のドアを開けると娘のランドセルが見えて、娘がそれに続いて降りてくるところから始まる送迎シーンが、この作品では3,4回出てきたと記憶するが、二人のウィットに富んだ素晴らしい会話劇が始まるたびに、ワクワクが止まらない。なんと素敵な母娘の描写だろうか。感傷に対するユーモアの勝利だ。


映画の最終的な着地も、なんだか常識外れで面白い。刑事と金融マンの対峙によって、物語は緊張感を帯びるのではなくむしろ哀愁を漂わせはじめ、最終的にロシア・マフィアが良いとこ見せて、終わり!社会派サスペンスと見せかけて、この落とし方はずるい。
そしてクライマックスであるロシア・マフィアの逆襲はスローモーションで描かれるのだが、なぜか現場にいたカフェのウェイターが慌てふためく様子がスローモーションで撮られるのが謎。
謎だったのだが、これ、もしかして『時計仕掛けのオレンジ』のオマージュ!!??


150分超えでも全然飽きないのは、役者の魅力もあるだろう。
主人公のマルタ・ニェラディキェヴィッツが素晴らしい。娘への温かい眼差し、敵を追いかける姿のクールさ。彼女自身が8年間で成熟した人間になったことが非常に説得力をもっ
て伝わってくるのは、この聡明な女優の佇まいのおかげだろう。繰り返すが、回想、フラッシュバック、一切なし!
あるいはロシア・マフィアを演じる男の顔、密輸に関与した気の良さそうな太っちょパイロットも印象深い。鑑識がなぜかゲイの設定であるのも、深くは関わってこないが、良い味付けとして効いていると思う。

それにしても、娯楽作の一種として楽しめればいいかな、という感じでのぞんだのだが、まさかこれほどストイックで、ちょっとシドニー・ルメットを思わせるようなサスペンス映画になっているとは思いもよらず。
この監督が凄腕の職人監督なのか、それともポーランドのエンタメがこの水準なのか。社会派きどった某国の娯楽作など恥ずかしくて口に出せないレベル。いやはやおそるべし。