2019年7月16日火曜日

緊急検証!! 石垣のりこ参議院候補の「消費税廃止」政策はトンデモか!?


721日に参議院選挙がある。すでに期日前投票を済ませた方もいるだろう。立憲民主党から立候補している石垣のりこ氏は、出馬直前までFM仙台のラジオパーソナリティをしていたこともあり、宮城県内では知名度が高い。また、仙台市は郡和子氏が市長に当選するなど、全国的にみれば、比較的旧民主党系が支持されやすい地盤もある。
一方で、石垣のりこ氏は出馬当初から「消費税廃止」を訴えており、あくまで「増税凍結」を主張し、消費税の廃止までは言っていない立憲民主党本部との乖離が、インターネットを中心に話題になっている。立憲民主党は、旧民主党の流れを汲む政党でもあり、「消費増税止む無し」と考えている支持者が比較的多いこともあり、「立憲民主党は支持するが石垣氏は支持できない」という有権者の声も聞かれる。
実際、ここまでの選挙戦においても、対する現職の自民党・愛知治郎サイドは、「借金大国の日本で、これから高齢化も進んで社会保障費も増大するのに、消費税廃止など暴論だ」といった、「人々の通念」に訴えかけることで、批判する戦略をとっている。

では実際のところ、「消費税廃止」は可能なのかどうか、以下に詳しく検討していく。これから投票する予定の有権者には、ぜひこの文章を読んでから投票に行っていただくことを、強く望む。

さて、ある政策、公約の実現可能性を検討するとき、我々は数字やデータを使って検討することが正しいと思っている。「数字のない議論は無意味である」と大学の教授が言えば、学生達も「その通り」と、うなずく光景が容易に思い浮かぶ。理系学部であればなおさらであり、最近では「文系の議論には数字もデータも一切出てこないから意味がない」という意見さえ、珍しくない。
しかし、これまた当然のことであるが、数字を使った議論には、その前提となる枠組みが必ず存在している。例えばある銀行がA社とB社のどちらに投資すべきかを検討するときには、「リスクが小さく、リターンが大きい方が、より良い投資先」という価値判断があり、その前提のうえでリスクとリターンの期待値を計算するのである。この前提があくまでひとつの価値判断であるということを忘れてはならない。つまり、「リスクが小さく、リターンが大きい方が、より良い投資先」とはまったく違う価値判断もあり(たとえば、より従業者のことを大切に考えている方が良い企業、とか)、価値判断が変われば、計算すべき対象も変わるのである。なので、「数字の出てこない議論には意味がない」という意見には一理あるが、同時に、「数字を用いる前提が吟味されない議論は薄っぺらい」という意見にも一理あると言わなければならない。
なぜこんなことを述べているか、勘の良いあなたならわかるだろう。そう、私はここで数字の議論はせず、その前提の話をするのである。

ここで私が議論/批判の対象とするのは、以下の通念である。
・「税金によって私たちの社会保障費が賄われている。」
・「税金では支出が賄えない場合には、国債を売ってお金を集めてくる必要がある。」
・「国債は国民に対する借金であり、いずれ返さないといけない。少しずつ返済しなければ、将来世代にツケを残すことになる」
・「いずれにしろ、このまま増税せずに社会保障費が高騰すれば、借金はさらに膨れ上がり、日本はギリシャのように財政破綻してしまうか、ジンバブエのようにハイパーインフレを起こしてしまう」

さて、以上の通念は、マスメディアにおいても広く流布している「常識」である。
かつてアメリカで活躍したジョン・K・ガルブレイスは、こうした「常識」を「通念”conventional wisdom”」と呼んだのだが、まさにこうした通念がいま問い直されなくてはならない。
おわかりと思うが、上にあげた通念は、なんと、(びっくりする準備はいいだろうか・・・)、なんと、なんと、、、、

全部間違っているのだから。

代わりに、以下に事実を述べる。(そんなわけないだろ~~!!!と突っ込む準備はできているだろうか・・・)

1. 税金は、政府が支出するために集めるのではなく、市中に出回っているマネーを破壊するためにある。
2. 国債は、政府が支出するために国民からお金を借りているのではなく、政府が支出をすることで発行される。
3. そもそも財政赤字とは、政府の「負債」ではあるが、「借金」ではない。したがって、「返す」とか「返さない」といった言葉を当てはめるのはナンセンスである。
4. 日本政府が財政破綻することはあり得ない。ギリシャが財政破綻したのは、ユーロという特殊な環境の問題である。同様に、カナダやオーストラリアやアメリカいったユーロ圏外の国が財政破綻することもあり得ない。
5. 財政赤字は「将来世代へのツケ」ではない。むしろ財政黒字の方が危険な場合すらある。
6. ただし、これが大事なのだが、だから政府は無限にお金を支出すればいい、というわけではない。
結論として、

7. 消費税廃止は、可能である。
★通貨発行権を独占している日本政府は、お金を「集めてくる」必要がない・・・。

とりあえず、お金はどこから来るのかということをお話しよう。日本で出回っている通貨は、円である。この「円」を発行できるのは、日本政府(中央銀行を含む)のみである。これを通貨発行権と呼ぶ。日本政府は円の通貨発行権を独占している。どういうことかと言えば、日本政府は、何もないところから、円を発行することがいつでも可能、ということである。
どうやるかって?簡単である。例えばあなたの七十七銀行の預金口座に、日本政府が「100,0000円」と打ち込めば、いきなりあなたは億万長者になれる。キーボード一つで、お金を生み出す、これが、政府が独占している権利=通貨発行権である。凄すぎる。まさに、権力である。だが、逆に言うと、日本政府が円を発行してくれないと、我々のもとにお金は回ってこないのである。実はあなたの財布の中にある1万円も、私の貯金も(額は教えないぞ)、すべては政府の通貨発行権により発行されたお金である。
市中にお金が出回るためには、政府がお金を発行するしかない1)
これが、あまりにもシンプルだが、ゆるぎない真実である。
以下の反論があり得る。銀行が会社に融資するときなどに、信用創造がなされているではないか。お金を発行できるのは政府だけではない、と。
もちろん、信用創造によって日々マネーが生まれている。が、信用創造においては、必ず負債と資産が両方とも発生している。七十七銀行が大塚家具に1億円貸すときには、1億円の負債が大塚家具に計上され、1億円の資産が七十七銀行に計上される。全体としてはゼロ、である。(この「全体」のことを、金融資産という。だから上のことを正確に言うと、「金融資産を増やすことができるのは、政府だけである」ということになる)
もっとテクニカルな話をすると、政府が銀行の準備預金に振り込んでくれる(=マネーを発行してくれる)から、銀行は信用創造ができる。


★お金を発行したら、それは政府の「負債」として計上される!!
あなたの財布の中に1万円はあるだろうか。あるのか。金持ちめ。。。
この1万円札を発行したのはどこか。そう、日本銀行である。ところで、この1万円札は、正真正銘のあなたのもつ資産であるが、一方で、その1万円札は、日本銀行の負債として計上されている。あなたの資産は、日銀の負債である。要するに1万円の赤字である。

「負債ということは、借金ということか??」

そろそろ、この話をしないといけない。私たちはごく当たり前のように、負債=借金と考えているし、赤字=借金と考えている。しかし、日銀や政府の負債は、果たして本当に「借金」なのだろうか。実は、負債=借金という等式は、自明のようにみえて、ある前提のもとに成り立っている。それは、「政府の財政は、家計と同じように扱うことができる」という前提である。家計の類推、英語で言うと”household analogy”である。なぜ英語で言うのかといえば、そうするとなんとなく事情通っぽく見えて説得力が増すからである。浅ましい考えである。
さて、家計にとっては、負債も借金も同じで、単なる言葉の言い換えである。企業も同じである。誰かに対して負債を抱えているなら、それはつまり借金をしているということであり、それはいつか返さないといけないのである。
ところが、政府や日銀については、事情が異なる。というのも、政府や日銀は通貨を発行する権利を有しているからである。家計や企業はその権利を有していない。これをcurrency issuercurrency userの違い、と言う。
通貨を発行できる主体にとって、負債は借金ではない。政府は、あるいは日銀は、負債として、通貨を自ら発行しているのである。ではここでいう「負債」とは一体何なのか。
1万円札」を例にとってみよう。1万円札はあなたの資産であり、政府/日銀の負債である。ここで1万円の負債とは、あなたが1万円を政府に持っていったら、それを「受けとらなければいけない」という意味である。本当にこれだけであるが、これが大事なのである。1万円として受け取らないといけない、ということはすなわち、「この紙切れには1万円の価値があります」と認めるということだからである。これが、政府/日銀にとっての、「負債」の意味である。
現在の日本の財政赤字は、巨額である。これらの負債はすべて、「政府が自ら発行した負債」である、断じて「国民に借金している額」ではないのである。

長々と書いてしまったが、言いたいことはシンプルである。
・政府/日銀は、通貨を発行する権利を独占している。そしてその発行したマネーは、これらの「負債」として発行される。

ここまではウォーミングアップである。まずは、「負債」とか「赤字」という言葉を聞いて、すぐに「借金」と同じ意味だと早合点してしまうことから卒業することである。そうすれば、以下の理解は早いと思う。


★税金は政府の財源ではない。税金の役割はもっと別にある!!
こっから、本題である。なにせ、もともとの命題は消費税廃止の可否である。
さて、今までの説明でわかることだが、お金というのは政府が発行するものであり、それ以外ではあり得ない。となると、政府がいろんなことにお金を使うとき(例えば道路を整備するために、あるいは公務員に給料を払うために)、そのとき、単純に、政府がお金を発行しているのである。シンプルすぎて狐につままれたような感じがするが、申し訳ないがそれ以外の説明のしようがない。単に、政府は、公務員の預金口座に、建設会社の預金口座に、お金を振り込むのである。

ええええ!!!!税金はどうしたんだよ!!!公務員ってのは俺らの税金もらって働いてるんじゃないのかよおおお!!!
と悲鳴が聞こえてきたが、ちょっと落ち着いて聞いてくれ。

いや、本当に申し訳ない。我々が払っている税金が、政府の支出に使われている、ということは基本的にない。テクニカルな話をすると、我々が銀行を通じて払う税金、これはどういう風に決済されるかというと、単に、我々の預金口座の額が減り、その銀行がもってる準備預金が同額だけ、減る。減る、というか、消滅するのである。そう、税金とは、マネーを破壊する行為なのである。言ってみれば、「ちょっとそこのお前、お金減らしなさい」と命令されて、ドブに捨てているようなものである。重ねて申し訳ないが、本当にそれが事実なのである。
じゃあ一体、何のために我々は、税金を払っているのだろうか!!
税金にはいくつかの役割がある。
まず、〇〇税という具体的なものは置いておいて、「納税の義務」の役割から話そう。
結論を言うと、みんなが「円」を使ってくれるようにするため、である2)
どういうことか。政府は「円」という単位のお金を独占的に発行できる。が、よく考えてみれば、我々も実はお金を発行できるのである。そう、たとえば、ビットコインがそうだ。ビットコインは民間の私企業が発行しているお金だ。同じように、ビットコインじゃなくても、例えば私とあなたの間だけで通用するお金を突然生み出すこともできる。例えば、「ぽんぽん」という通貨を発行してみよう。私のオックスフォードシャツ15000ぽんぽん、とか。しかし、大変重大なことに、ぽんぽんでは、税金が払えないのである。例えばあなたが1万円の家電製品を買ったら、800円の消費税をとられるが、あなたが「消費税の分は、200ぽんぽんで払います」と店頭で言ったら、店員は呆然とするか、さもなくば警察を呼んでしまうだろう。つまり、お金は誰でも発行できるのだが、税金は「円」でしか払えないのである。そしてだからこそ、私たちは「円」を使って買い物をしたり貯金をしたりしているのである。「円」以外で税金が払えてしまうのであれば、他の通貨に切り替えてしまうかもしれない。そうすると、政府としては、通貨発行権の独占を失い、いろんな政策がやりにくくなってしまう。

税金の役割はまだある。
ひとつは、世の中のお金の分配を調整するため、である。
例えば所得税。これは、金持ちの方がより多く払う累進課税になっている。こうすることで、経済的格差を縮小させることができる。
よく、「税金は金持ちがいっぱい払ってるんだ。俺らのおかげで、お前らの社会保障が賄われているんだ」とのたまうお金持ちさんがいるが、実は、そんなことはないのである。お金持ちからいっぱいお金をとっているのは、単に、お金を没収するためであり、どこかに回すためではない。さっきのたとえ話がそのまま当てはまるのだが、「お前、お金持ちすぎ。ダメ。」というのが、税金の役割なのである。
それから、もう一つ大事な機能がある。たばこ税とかガソリン税というのがあるだろう。これは、いわば、タバコを吸う人にペナルティを課したり、汚染度の高いガソリンにペナルティを課すことで、そうしたものを抑制するためにある。いわば社会政策の一貫として、税金を課すこともできるのである。

まとめよう。
・税金は、政府の支出をまかなうためにあるのではない。
・納税義務は、まずもって、国民に円を使ってもらうためにある。
・そして、様々な場面で税金を課すことで、格差を縮小させたり、望ましくない行動を抑制する役割を持っている。

おお、理解が進んだ!


★国債の話は結構複雑なんですよね・・・・。
税金が政府支出の財源じゃないなら、国債は何のためにあるんだ、という声が聞こえてきた。
自信をもって言うが、国債もまた、根本的には、政府の財源ではない。
で、この国債の役割、あるいは国債なんてそもそも要らないんじゃないか、という話は、かなり複雑で、かえって混乱を招くので、最後に述べることにした。興味のある人は読んでみてほしい。
とりあえずここで言うべきは以下。
・現在は確かに、形式上は、政府が国債を発行して、それを市中銀行(とかディーラー)が買い、それが政府の日銀口座に振り込まれる、ということになっている。
・が、政府が国債を発行する際には、日銀がその国債購入費用を「あらかじめ」市中銀行に貸し出すことで、国債の売れ残りがないように調整している。こういうのを「コリドーシステム」と呼んでいる。
すごく簡単に言うと、国債の売買は出来レースで、政府は「国債を買ってもらえなかったらどうしよう・・・」などとビクビクしていることは一切ないのである。

ちなみに国債は、銀行や企業にとっては、安全資産として保持するなど、経営戦略の一貫として関わってくるものである。
昔から、「このまま財政赤字が膨らめば、日本は財政破綻する!!」と予言しては、なかったことにしている経済学者やエコノミストがたくさんいるが、彼らの言い分のひとつが、国債の金利が急上昇すれば利払いが大変なことになって、破綻するかハイパーインフレになってしまう、というものである。
その後も政府の財政赤字はどんどん増えていった。ところがなんと、最近の長期国債金利は、マイナス金利になってしまっている。マイナス金利ということは、国債を買った側が、定期的に金利をもらうのではなくて、払っている状態なのである。それでも買い手がたくさんいる。つまり今でも、国債は安全資産として企業に重宝されている。それが、急に金利が上昇するわけないと思うのだが、どうか。お金を払ってでも欲しいものですよ?


★いよいよ本題に入りましょう!

さて、準備は整いました。こっからが本題です。
今までの議論に納得してくれたあなたは、日本の経済の何が問題なのか、ガラッと景色が変わるはずです。
まず、財政赤字は問題ではない、ということ。財政赤字とは、単に、それだけ政府が負債を発行したよ、という記録であって、将来返さなきゃいけない借金などでは一切ない。
じゃあ日本には何の問題もないのか、というと、そうではない。
ここが最も言いたいことである。
少子高齢化、今後の原発の廃炉作業、地方経済の衰退、非正規雇用などのブラック企業の問題などなど、たくさんの問題がある。しかし唯一、財政赤字は問題ではないし、そして財政赤字が問題ないからといって、他の問題がなくなるわけではない、ということである。
私が何を言いたいかわかってくれるだろうか。
我々は、何かというとお金の問題に議論を帰着させるクセがついてしまっているのである。
例えば、少子高齢化だ! → 社会保障費が高騰してしまう!
例えば、原発の廃炉作業をしないと! → いくらかかるんだ!財政が持たないぞ!
といった具合に。少子高齢化の真の問題は、高齢者を介護する人材が足りなくなること、高齢者医療に医者の人手をとられて他の分野の研究が停滞すること、などである。
あるいは原発の廃炉作業の問題もまた、廃炉のエキスパートがどれぐらいいるのか、そして何十年とかかる廃炉作業を続けるために今から若い人材を育成する環境が必要なこと、そもそも若い世代にそういう分野に進んでもらうように動機づけること、そしてそもそも廃炉作業が技術的に可能なのか、ということである。
ところが、何かというと、すぐに「費用」の話をしてしまうがために、こうした具体的で本質的な問題への関心が薄れてしまい、議論が広がらないのである。だからこそ、「財政赤字は問題ない」ということを理解しないといけないし、同時に「財政赤字は問題ないから、もっと別の問題を真剣に話し合おう」と言わなければならないのである。
間違っても、「財政赤字は問題ないから、日本はこの先も安泰です」などと言ってはいけない。問題は山積みだし、それはお金だけで解決できるものではない。

しかし!!しかし、しかし、しかーーし!!

政府が通貨発行権を存分に駆使して、解決できるものもある。少なくともそれが必要な問題はいっぱいある。
例えば上にあげた、廃炉作業の環境づくり。具体的にどうすべきかは私にはわからないが、政府がその分野への投資を惜しむべきではない。
また、ひっ迫する環境問題に対して、もっとエコ・テクノロジーへの公共投資をしたっていいだろう。
お金を使うべきところはたくさんあるし、お金を必要としている分野もたくさんある。


★消費税廃止は、実現可能だし、望ましい格差縮小政策である!
さて、日本の問題点として、経済格差が拡大傾向にある点をあげなければならない。
例えば、子供の貧困率が過去最大のレベルに達しており、ブルジョワ家庭で英才教育を受けているお坊ちゃまもいれば、母親一人が一生懸命働いて養っているが、給料は少なく、子ども食堂のお世話にならざるを得ない家庭もある。宮城県は子供の貧困率が全国的にも高いそうだ。あるいは、日本は世界的には格差が少ないと言われているが、相対的貧困率(所得の中央値の半分以下の所得の人達の割合)は、実はOECD諸国においては4位であり、立派な格差大国である。海外からの技能実習生も安月給でぼろ雑巾のように働かされており、彼ら/彼女らも、今後日本に住む貧困層として問題化するだろう。
金のあるところにはたくさん金があり、一方で金がない世帯が増えてきている。
日本銀行などが公表している、資金循環統計、というのがある。簡単に言えば、どこにお金が集まっているのか、というのを見るためのデータである。それを見ると、企業の黒字がここ20年間でどんどん上がっていることがわかる。金は企業に入っているのである。しかし残念ながら、それが従業員の給料には回ってこないのである。これには歴史的な経緯があり、なかなか一口では言えないのだが、例えば労働組合が弱体化して、企業への賃上げ圧力が弱まったことなどが影響しているし、小泉政権時代の派遣労働法の規制緩和なども大きく影響しているだろう。企業には企業の経営方針があり、様々な構造的要因が解決されなければ、単に国が「賃上げせい!」と言っても、そううまくはいかないのである。
なので、賃上げは結構難しい。最終目標としては、労働者の賃金が上がっていくサイクルに再び戻っていくことが、日本経済の目指すべき方向だと考えるが、じゃあすぐに賃上げが起きるかというと、少し時間がかかるだろう。
ならば、発想をかえて、可処分所得を増やしてあげればいい。
そう、消費税廃止である。生活保護の人も、ひとり親世帯も、みんな消費税を8%払っている。日用品は買い控えることができないから、どうしても消費税は家計に重くのしかかってくるのである。この消費税がせめてゼロになってくれれば、こうした家計も少しは余裕が出てくる。もう少し余裕のある世帯は、消費を増やしてくれるかもしれない。そうすれば、やがて国民の消費も高まり、良いサイクルが生まれ、その間に労働者をより保護するような制度を用意すれば、人々の賃金がいよいよ上がってくるかもしれない。



★というかそもそも消費税というのは、ビルトインスタビライザーを無視した最低の税制であるから、廃止以外選択肢がない。

消費税は安定財源。不景気になっても、安定した税収を確保できる。だから消費税が良い。
というのが、財務省や経済学者の言い分である。もちろんこの人たちは、これまで説明してきた前提を共有していない。政府の借金をこれ以上増やさないために、安定財源の消費税を、ということである。
しかしだ、考えてみて欲しいのだが、不景気で大変なときに、安定した税収を確保するって、なんだそりゃ?である。不景気のときは、なるべく税金などが家計の負担にならないようになっているべきで、そうじゃないと家計が破綻してしまう。
所得税などの累進課税は、(不景気で)所得が下がれば、自動的に税負担も下がる、という仕組みになっている。これが、ビルトインスタビライザーである。消費税はその範疇に入らない。繰り返すが、ビルトインスタビライザーとして機能しないことを財務省は「良いこと」だと思っている。
まさに、数字の前提の価値判断の議論がここで重要になってくるのだ!なんという伏線!

さすがに疲れてきた。もっと言いたいことがあるのだが、今回はすでに目的を達成したから、ここで終わりにしよう。国債の決済の話題もまた今度書くことにする。
一応まとめておくと、

・政府は通貨発行権を有しており、税金や国債を財源にする必要はない
・政府の負債は、家計で言うところの借金ではない
・税金にはもっと別の機能がある
・所得がなかなか上がらず、貧困家庭が増えるなかで、もっとも手っ取り早い政策が消費税廃止である。

1) 以下の反論があり得る。銀行が会社に融資するときなどに、信用創造がなされているではないか。お金を発行できるのは政府だけではない、と。
もちろん、信用創造によって日々マネーが生まれている。が、信用創造においては、必ず負債と資産が両方とも発生している。七十七銀行が大塚家具に1億円貸すときには、1億円の負債が大塚家具に計上され、1億円の資産が七十七銀行に計上される。全体としてはゼロ、である。(この「全体」のことを、金融資産という。だから上のことを正確に言うと、「金融資産を増やすことができるのは、政府だけである」ということになる)
もっとテクニカルな話をすると、政府が銀行の準備預金に振り込んでくれる(=マネーを発行してくれる)から、銀行は信用創造ができる。これを債務ヒエラルキーと言うが、詳細は控える。

2)「その通貨で税金を払えるからこそ、その通貨がみんなに使われる」という考え方を、tax-driven money(税金が駆動するマネー)と呼ぶ。しかしなぜある特定の通貨が出回るのか、ということについては学術的な議論もたくさんあるらしく、これがすべてではないらしい。正直、私はあまり深く知らない。(が、今回は税金の重要な役割ということで、紹介した。これ自体は間違いではない。)

2019年7月3日水曜日

誰もがそれを知っている

◎衣装の確信犯的な対照から隠れたストーリーを妄想する

ペネロペ・クルスにこれほど地味な衣装を着せることに終始した映画があっただろうか。と書くとペネロペ・クルスの映画を全部網羅しているかのようだが、そんなことはない。
言いたいのは、とにかくペネロペ・クルスの衣装が地味ということだ。
一方で、ハビエル・バルデム演じるパコの妻であるベア(バルバラ・レニー)は、結構派手な服を纏っている。最初の登場こそ平凡な赤のカーディガンだが、シャワーを済ませたJ・バルデムが目にするのは、翌日の結婚式のための背中がぱっくり空いたドレスだ。ここでややセクシャルな描写(J・バルデムが背中のチャックを閉めようとしつつ、ドレスの中に手を入れて戯れる)が続く。
その後も、落ち着いた服装の場合もあるが、それでも花柄のチュニックを着ていたり、下着姿のシーンが結構多い。
対するペネロペ・クルスは、終始、紺色のパーカーなどの、暗い色の、かつ露出も少ない服装である。ラストシーンにようやく、ちょっとだけeye-catchingなブルーのシャツを着てはいるが、それでもだいぶ控えめと言ってよい。

もちろん、これはペネロペ・クルスの娘が誘拐されてしまう映画である。母親が露出度高めだと、ムードがおかしくなるという判断もあるとは思う。しかしながら、上記した結婚式のドレスですら、ペネロペ・クルスのそれは、結構地味である。

そこで、もう少し別の「背景」も探ってみたい。
さきほどペネロペ・クルスと対比的に取り上げたベアをめぐっては、セクシャルな視線が散りばめられていることに注意したい。
先ほどのJ・バルデムとの絡みに加え、例えば、ベアのドレスは、親戚がつくったもので、ベアが「夫が気に入っていた」と伝えると、「ドレス?それとも中身?」と返す。
あるいは、誘拐されたイレーネに対して、警察に通報すべきと主張するベアに対して、J・バルデムが「実の母親だったらそうとは言えない」と返すと、ベアが「子供がいなくてよかったわ」と捨て台詞を吐く。
ここで気づくのだが、そういえばJ・バルデムとベアには、子供がいない。
別にいなくたっていいのだが、しかし、どうもこれは、あえてそういう設定にしているのではないか、と考えたくなる。ベアをめぐるセクシャルな視線、冒頭のJ・バルデムとの絡み、こうした側面と照らし合わせたときに、この夫婦は子供がいないというより、できないのではないかと思えてくる。どうもセックスレスというよりは、なかなか子供ができない、という感じがする。映画における夫婦の描写からはそう思える。
そして、そんななか、判明する事実を思い出してほしい。
そう、イレーネはJ・バルデムの子供なのである。つまり、ここでベアが知らされるのは、イレーネが夫の子供である、同時に、夫には繁殖能力があるということなのである。
つまり、不妊の原因は自分かもしれない、という可能性が浮上する。
彼女が最終的に何も言わず家を出ていくのは、もしかするとこういった要素もないまぜになった葛藤なのかもしれない。

とたんに、このベアという女性の存在が、痛々しいものとして印象付けられてくる。
実に閉鎖的な共同体を舞台にしたこの映画において、彼女の出自は不明なままなのであるが、彼女はもう少し都会の出身なのではないか。更生施設の職員という進歩的な職業に従事しつつ、おしゃれで露出度高めな服を愛し、夫を献身的に支える。夫も妻を愛している。決して不協和音は目立たない。にもかかわらず、(少なくとも映画内においては)セックス・アピールの乏しいペネロペ・クルスとの間に子供がおり、自分との間には子供もできない。そんな一人の女性の、なんともいえぬ挫折感。

そんなことを妄想してみた。