2013年3月18日月曜日

甘い罠

監督:クロード・シャブロル

 主観ショットの使い方。例えば回想シーンと現在のシーンで繰り返される窓から車を捉えたショット。あるいはイザベル・ユペールの写真展の様子を窓からアナ・ムグラリスが覗くシーン、ここでは建物の中で歩き回るイザベル・ユペールを捉えるショット群に、ワンショットだけ窓の外から彼女を捉えたショットが出てくる。そしてそれがややあってから、アナ・ムグラリスの視線を模したものであることがわかる。このように、見る者→見られる者→見る者のリアクション、という典型的な図式を微妙にズラしてサスペンスを醸成するのがシャブロル、特に晩年の傑作群には見られるように思う。

 主観ショット、あるいは視線の問題でいえば、イザベル・ユペールが家に帰宅するとムグラリスとジャック・デュトロンがピアノのレッスンをしているというのを、これは極めてオーソドックスにユペールの横顔のクローズアップ→ふたりがピアノを弾いているショット→ユペールのフルショット(同じショットのまま家に入っていく)という順番で撮っているのだが、この直後、家の中に入ったユペールがふたりがピアノを弾いている部屋を通過していくのを、ピアノの側からカメラがパンで捉えるショットが続く。ここでユペールが歩きながら、こちら側、つまりピアノを弾いている二人を横目でチラッ、チラッと、ほとんど睨むように見ている。ここで重要なのは、カメラが決してユペールの視線の先を描かないという点だ。カメラはユペールが「見る」という情報だけをひたすら提示しているのである。
 つまり、ユペールの「見る」という行為そのものが、この一連のシーンにおける主題となっているのである。
 さらにそのあとのシーンで、買い物から戻ったユペールが、レッスン中の二人の元へ歩いていくなり、アナ・ムグラリスの方をじっと見つめて、それに気づいたムグラリスが思わず演奏を中断してしまうという場面がある。この突然出現した緊張は、しかしユペールが「サーモンを買ってきたわ」と言って会話を切り出すことで中断される。つまりこのシーンは、ただひたすら、「ユペールがムグラリスの方を見た」という物語が語られているわけである。
 いや、もちろんいくつかのサスペンスやスリラー映画において、何者かがこちらを見ている、というスリリングなシーンはいくらでもあるだろう。しかしそれは大抵、見ている者が謎の人物であるか、いるはずのない人間がいる場合だ。
 しかし『甘い罠』のこのシーンにおいては、既に知り合って親しくなった、しかもそこに居て当たり前の女性が見ているのである。そしてそれがサスペンスになっているのである。

 
 ベルタの美しい撮影、特にアヴァンタイトルからのレマン湖、ユペールとブリジッド・カティヨンの面会のシーンの見事な色彩の配置(黒の書棚、ユペールの黒いコート、黒いバッグ、対するカティヨンの着ている白衣、白いティーカップ)。
 あるいは編集のリズム、じっとカメラを持続させるシーンもあれば、(ムラグリスが出かけるシーンのように)軽快な音楽と編集で飛ばすシーンもある。
 アナ・ムグラリスが素晴らしい。髪を束ねている彼女は、どちらかというと神経質でミステリアスな雰囲気だが、髪を降ろした途端最高に美しくなる。ぶっちゃけ前人未到の美しさである。知らんけど
 ムグラリスの、ちょっとバレエのような、かかとをひょこっと上げるような歩き方がとても面白い。

 僕にはこの映画がひとつの完成形、まさに20世紀に終わりに到達してしまった完成形のように思えて仕方がない。とか言ったらいろいろ怒られそうであるが、少なくともこの20年ぐらいの中でも最高の映画のひとつだろう。

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