監督:ハワード・ホークス
『コンドル』同様、かつて失敗したものが「その場の流れによって」「知らず知らずのうちに」、もう一度役割を果たす映画であって、だから僕のなかでは、ジョン・ガーフィールドがジョン・リッジリーを助け、機体を不時着させるシーンでこの映画は完結したと言ってもいいぐらいで、というかそれほどこのシーンは震える。
あるいは戦闘シーンの嘘みたいな迫力。スクリーン・プロセスであってもこれだけの迫力を出せるのだから、凄いとしか言い様がない。ラスト近くの戦闘機が船に落ちて船もろとも爆発、という造形。
ハリー・ケリーが息子の死を聞かされるシーンで、「1秒たりとも感傷に浸らせない」という映画的感覚が素晴らしい。感傷的なエピソードはすぐさま中断され、しかし中断された者達は感傷を胸に、それを運動に転化させていくわけだ。
だからこそ上記の戦闘シーンは見事に「戦意高揚」させられるわけだ。
扉の開閉はパイロットの妹を見舞いに行くシーンだけだったのではないか。それほどこの映画には扉の開閉がなく、つまりアメリカ国民全体がすでに団結している(とまで深読みするのはよそう)。
主観ショットでひとつだけおかしいのがあって、病床のジョン・リッジリーの視界がだんだんクリアになってハリー・ケリーを捉えるところ。これは間違いなく主観ショットなのだから、ハリー・ケリーはカメラの方を見ていなきゃおかしいね(笑)
機体の修理をあきらめて燃やすという展開なのかと思ったが、意外にも機体は修理される。だがそこでもたついたせいで多くの犠牲が出ている。
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