2013年3月6日水曜日

赤ちゃん教育

監督:ハワード・ホークス

 主観ショットが全部で18回、扉の開閉が全部で30回ほどある映画なのだが、なぜこんなことを書くかと言えば、扉を開けることによって事件が誘発されたり、あるいは扉の向こう側を見ることで事の真相を知る、という展開が多いからであって、あるいはそれは要するに視覚の聴覚に対する優位性の誇示だと言ってもいいのかもしれないが、まぁそこまで言うこともないでしょう。
 
 一番良いシーンが、酔っ払いの使用人が豹を目撃して、慌てて家の中に入って、女の召使いに衝突して、それによって大量の食器をガシャン!と落としてしまい、その音を聞きつけた各位がその部屋に集合して、事態を察したヘプバーンとグラントが外へ豹を探しに行くというシーンで、とにかく外から中へ、部屋から部屋へ、そして部屋から外へという空間の移動が極めて気持ち良いリズムで描かれている。
 ちなみにこの酔っ払いが豹を見つけるときは主観ショットを使っていないが、一方叔母の友人が暗闇の中で豹を発見するシーンでは主観ショットが使われている。ここではふたりのうち、一人だけが気づくという事がこの主観ショットの選択に至っているのかもしれない。
 あるいはさらに対比を続けよう。酔っ払いが目撃する豹はそこにじっと座っているのに対し、叔母の友人の大佐が発見する豹はスーっと闇夜に紛れてしまう。このスーっと消えていってしまうが故に、主観ショットであることが生きてくる。闇夜に紛れる豹というのは、外側からの構図では撮れないわけだ。主観ショットによる不可解で捉えどころのない光景の提示、というのはひとつの映画史的正解としていいだろう。

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