2013年11月25日月曜日

ペコロスの母に会いに行く

監督:森崎東

断片化、反復(と差異)、となんだかいろんな「誘惑」がある映画だと思うが、つまらなかった。

断片化とはつまり、序盤の唐突な回想の入り方、あるいは独立したエピソードを紡いでいくやり方を指す。とりわけ歌声、そして窃視のモチーフ、などは感動的だ。子供たちが教会での合唱を覗き見て、そして縁側で歌いあう、という流れの素晴らしさ。

あるいは反復とはつまり、彼女たちが歌う歌の、時間を隔てての反復であり、その差異である。歌が記憶を媒介するものとして扱われ、その歌われ方が人物達の心理を説明する(友人の死を知って、涙を流しながら歌う)。
この反復の仕方が理屈っぽく、どうも好きになれなかった。
老人の鼻唄はその都度「この記憶を思い出しています」という風に説明され、また老人の徘徊は、「この光景とだぶっています」と説明される(特にラストの祭り)。
なんでそんな風に説明しなきゃいけないのか。

あるいは回想シーンにしても、雪の中、酔っぱらって倒れている加瀬亮を妻が介抱するシーンでは、確かにその唐突な雪に心を奪われはするものの、彼女が加瀬亮を「起こす」動作は省略される。ここは「起こす」動作を撮らないといけないと思う。

竹中直人をめぐる一連のエピソードはつまらなかった。
あるいは岩松了の息子と介護士のロマンスはないのか。ないのか。そうか。

http://d.hatena.ne.jp/jennjenn/によると、加瀬亮の給料袋が手紙の封筒に使われているらしく、そんな細部気づきませんでした。すみません。