2012年11月9日金曜日

孤独な声

監督:アレクサンドル・ソクーロフ

ソクーロフの処女長編。ソクーロフという人は本当にとんでもない天才だな、とつくづく思う。
映画において、男と女を描く、しかも濃密に。これはあらゆる映画にとって大切なことだ。あるいは映画を見る喜びのほとんどはここに集約されると言っても過言ではない。いや過言だけど。

木々の隙間からのぞく太陽の光線を捉えたショットに続いて、カメラは唐突に靴を履いた足をとらえる。それが誰の足なのかわからない。それから今度はカメラが引くと、ニキータ(男)の目の前に一人の女性が立っているのがわかる。なるほど、この女性の足だったのだ。そしてこの、なんとも形容のし難い、不思議な魅力を持った顔立ちの女性が、「こんにちは、私のこと覚えている?」と尋ねると、今度は反対側から捉えた、つまり女性の方向からニキータを捉えたショットに、オーバーラップで切り替わり、ここでもかなりの間を置いて「覚えています」とニキータがつぶやく。
この時間の流れ。
考えてみれば、ものすごい不自然なやりとりだ。まるでスローモーションの世界のように、二人はゆっくりと間をとって、お互いにぼそっとだけ声を発する。この時間の「過剰な緩やかさ」をオーバーラップの切り返しがさらに助長する。このあまりに不自然きわまりない、常識はずれの時間の流れが、しかしそれが一体どうして―いや、むしろこれこそが映画が持つ恐ろしいまでの力だが、この時間の流れが愛おしくて仕方がない!

我々の日常とは全く異次元の存在と時間が、突然立ち現れること。

あるいは、本作において、上記のシーンと同じくらい好きなシーンを上げるならば、リューバ(女)が寝ているところに、リューバの友人がやってくるとこだろう。
カメラは窓際にセットされ、部屋の奥でリューバが眠っている。で、そのそばでニキータがアルバムを眺めているのだけど、友人が画面の外からリューバを呼びかけると、リューバが起き上がって、窓までやってくる。だから当然、この持続したフィックスショットは、リューバのクローズアップに移行するわけだ。このクローズアップが本当に素晴らしい。リューバの幸福そうな表情に、優しく日光があたっている。素晴らしい。
そしてそこから一気にカメラが部屋の奥の暖炉の前に移り、手前に暖炉に薪をくべるニキータ、奥に友人と楽しそうに会話するリューバの姿が捉えられる。この光のコントラストの素晴らしさ!
もう本当に天才としか言い様がない。

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