2012年11月11日日曜日

「卑しい動機」と価値の再発見

 しばらく前にTwitter内で、カンボジアの支援をする(いわゆる)意識の高い学生を揶揄するツイートが見られ、それが(いわゆる)アルファ・ツイッタラーの間で盛り上がるというケースがありましたね。
 これらの言説の内容を私なりに要約すると、「彼らは、日本にも貧困はあるのに、カンボジアの支援を優先させる。それは、彼らが貧困に同情してるんじゃなくて、『海外支援してる僕たち』に酔っているからだ。マジ気に食わん」という事になるかと思います。
 
 なるほど、そのような心性はあるのかもしれません。かく言う私も、国境なき医師団で働いてみたい、とか、国連で働いてみたい、などしばしば思うのですが、要するに海外を股にかけて仕事する自分の姿を描いて酔っているという解釈も可能でしょう。

 つまり、その動機が「卑しい」という事が、しばしば揶揄/非難の的になるわけです。

 同じような事例はいくらでもあると思います。
 例えば「人と違うことをする」、「人があまりやっていない事をする」ことによって目立とうとすること。みんながAをやっているからBをやる、というのは、実はBそのものに価値を見出しているとは言えないわけですね。つまりもしみんながBをやっていたら、その人はAを選ぶことになるからです。
 それ自体に、普遍的な価値を見出すことなく、行動や立ち位置を選択するという意味において、その選択の動機は「卑しい」と呼ぶことができるかと思います。

 私が言いたいのは、それでいいじゃないか、という事と、しかしその次の段階こそが重要なのではないか、という事です。
 
 過剰な自己承認欲求が暴走して、確固たる核を持たない状態で行動や身振りを選択してしまうということはいくらでもあります。
 そしてそうした「自己承認欲求」が露骨であるとき、人はそれに辟易し、揶揄/非難をするのでしょう。
 私はそのこと=卑しい動機によって行動を選択すること自体にはさほど問題があるとは思いません。
 私が問題だと思うのは、承認欲求に溺れてしまうことです。つまり、承認欲求を満たそうとして選択した行動から、結果として承認欲求以外のものを得ずに終わってしまうことです。
 もちろん、日常のささいな行為はしばしば、ただひたすら承認されるために行われ、承認され次第恍惚とともに終わるわけで、それをいちいち問題にしようとは思いません。
 
 しかし、「カンボジアの支援」レベルの話になってくると、重要な問題だと思います。
 
 動機が卑しかろうが問題ではないわけです。重要なのはその先ですね。
 実際の経験を通して、その行動や身振りに内在する普遍的な価値をいかに発見することができるか、あるいは自らの卑しい動機によって始めた行動の中に、「卑しい動機を満たす道具」とは別の意味を見出し、再解釈すること、これがとても大事なことだと思います。
 なぜならそのような再解釈、価値の再発見を通じて、もしかしたら「カンボジアの支援」以上に価値のあることが発見されるかもしれないわけです。そしてそうして発見されたものは、もしかしたら自己承認を全く満たさないものかもしれない。でもそれが成長ということなのかもしれないですね。

 もちろん「カンボジアの支援」のようなものにとどまらず、例えば趣味・文化の世界でも言えることだと思います。
 「趣味って人と違うからやって承認欲求満たすためにやるんだろ?」というニヒルな言説はよく見られますが、おそらく導入としてはそんなものかもしれません。
 しかし、そうした「卑しい動機」によって始めた趣味・文化活動を通じて、その趣味・文化活動に内在する普遍的な価値というものを発見することができれば、そのような動機の「卑しさ」など、さして問題ではないでしょう。

 あるいは学生として一番身近な例として、試験勉強があると思います。
 試験に落ちたくないから勉強する、しかし結果的にその科目の面白さを発見する、というプロセスは、、、まぁ最近あんまり無いですね・・・orz
 
 
 私は上記したような、(様々な動機から)行動をする→その行動そのものを再解釈し、本質を発見する→次の段階に進む、というプロセス、そしてそうしたプロセスを経験できるような社会的な仕掛けが重要だと思っています。それはTwitterのような言説空間のレベルでも言えると思います。
 「結局自己承認欲求満たしたいだけ」というような揶揄・非難は、上記したような本当に重要なプロセスの経験を阻害してしまうことになると思います。
 であれば、「承認欲求丸出し」の行動に対し、それを一応肯定しつつ、しかしその先にあるプロセスに気づかせてあげる/促してあげるというような態度が重要で、そうした態度/空気を通じて社会の多様性や(文化的思想的)豊かさは生まれるのではないかと考えています。 



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