2021年9月26日日曜日

ある結婚の風景

 監督:イングマール・ベルイマン

だいぶ久しぶりにベルイマンを見た。数年前に何本かまとめて見たのだが、本作は未見だった。自分にとっては『叫びとささやき』がワンオブベストだが、この作品はその後に撮られた作品だ。第2話までは抑制のとれた、夫婦のちょっとしたすれ違いをさりげなく描いているが、第3話で一気にボルテージが上がる。
『ドライブ・マイ・カー』のレビューで、これならエステル・ペレルのレクチャーを聞いた方がマシだと書いたのだが、この作品で展開される夫婦の受難は、本当にそのまんまエステル・ペレルの『不倫と結婚』に書いてある※。
ユーハンが求めているのはポーラそのものではなく、ポーラに出会って生まれた新しい自分の姿なのだ。ユーハンはマリアンにかなり明け透けにすべてをぶちまけ、4年前から君にはイライラしていたとまで言って憎しみをぶつけ、そのまま出て行ってしまう。しかもマリアンがショックのあまり友人にそのことを話すと、何と友人達はユーハンの浮気を知っていたという(これも『不倫と結婚』に出てくるエピソードだ)。
第4話では久しぶりに夫婦が家で再会する。ユーハンはアメリカの大学への転任が決まっており、ポーラとの愛以上に自分の人生の悟りを得意げに語る。曰く、人間はどうやったって孤独なんだと。マリアンはマリアンで、当初のショックからはわずかに立ち直りの兆しが出ていて、新しい彼氏がいて、またセラピーにも通っている。セラピーで日記や考え記録することを勧められ、その内容をユーハンに語り聞かせるが、ユーハンは眠ってしまう。マリアンはいつも誰かのために自分の感情を殺していたという気付きを得つつあるが、ここではまだ過去の傷から完全に立ち直れてはいないし、お互いにピリピリしていてコミュニケーションも刺々しい。
第5話になると立場が逆転している。マリアンはかなりの程度立ち直り、一方のユーハンはポーラとの生活に疲れ、アメリカ行きもなくなり、人生のどん底にいるようである。
ユーハンのこの転落ぶりは身につまされる。平穏なる結婚生活に息苦しさを覚え、ポーラという新しい愛人に出会うことで、新しい自分を発見、ついでにアメリカ転身まで決まっていたが、それらすべて崩れ、妻も愛人も名誉も失い、孤独な大学教授として鬱屈をためこんでしまっているのだ。
そしてその自分の人生への失望が爆発し、マリアンとユーハンは壮絶な喧嘩をしてしまう。
ここは見ていて辛い。帰ろうとするマリアンを部屋に閉じ込めて、挙句手を出してしまい、惨めに泣いてしまう。

この作品の主題の一つとして、「お互いの感情をすべて曝け出す」ということがあると思う。しかしそれが本当に良いことなのか、というと、この作品を見ても確信が持てない。
もはや本音なのか何なのかもわからない、行き場のない憎悪を剥き出しにすることが、危機を乗り越えるために、人間として成長するために必要なのだろうか。
第6話は一転して穏やかな流れが支配する。まずマリアンが母と会う。母は読書の途中で眠ってしまって、マリアンがやってきて起きる。この描写が穏やかそのものだ。
マリアンと母の会話では、母がほとんどの感情を隠したまま、夫が亡くなってしまったということが語られる。そのため、夫が亡くなっても、全く寂しくないのだと言うのだ。これはマリアンが辿っていたかもしれない妻像でもあるだろう。マリアンは、ある意味ではユーハンの不貞の「おかげで」、自分の感情を曝け出し、自分の殻を脱ぎ捨てることができたのかもしれない。しかしそれでも、マリアンの母よりマリアンがそれだけ幸福なのか、それはわからない。観客の判断にゆだねられる。ここには時代の変化、フェミニズムとの関係など、様々な視座があるように思う。
最後、ユーハンとマリアンが別荘で一夜を共にする。マリアンがユーハンを見つめて、「こんなに優しいのは久しぶり。大好きよ」と涙を流して伝えるシーンには思わず泣かされる。一難去っての、平穏。ユーハンが言うように、「お互い愛し合っているけど、やり方がまずいだけ」だった二人が、お互いにとって適切な距離感を見つけ、その束の間の幸福に身を浸して、作品は完結する。


※HBOでジェシカ・チャスティンとオスカー・アイザック共演でリメイクされるらしいのだが、なんとその監修にエステル・ペレルが入っている。

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