2012年9月5日水曜日

ある子供

監督:ダルデンヌ兄弟

近景から始まり、ワンショットが持続して遠景に至る、というショットが何度も出てきて、とりわけ車の周りを二人がぐるぐる周りながら、公園まで走っていくカットなど絶品。あるいはその一個前のショットは運転中にちょっかい出しあっててすごく危なっかしいのに、カメラは決して前方の窓を映さない。
近景と遠景の使い分けが物凄くうまいのだろう。
ひったくりからの一連のシーンは手持ちカメラとは思えない、しかし手持ちカメラでしかあり得ないような見事なショットとカットの連続で、これは燃えた。

子供のいない乳母車を押して歩くブリュノのショットがいくつか出てきて、そう思うと今度は少年が乗っていないスクーターを押すブリュノの姿が出てくる。(映画研究塾的に言えば、このスクーターのショットから逆算して撮ってる)
あんなにせっせと押していた乳母車は店に売るのだし、スクーターもすぐに少年に返すのだし、考えてみれば赤ん坊もあれ以来一度も触れる事がなく終わる。そうやってモノとモノ(あるいは金)を交換しながらひたすらに動き続ける様を見ていると、見てるこちらとしては、「ブリュノは~すべき」とか「ブリュノはクズ」といった価値観が消え、ひたすら見ることによってしか反応することができなくなる。

基本的にカメラはブリュノの行動を捉え続ける。そして多くの場合、車が通る「ザ―」っという音が聞こえていて、それはまるで物事がただひたすら同じリズムで生起しては消滅していくような感じで、それはブリュノの行動を捉えつつも、そこに心理的アクセントというようなものがなく、要するに何か決定的なブリュノの行動があったりするわけでもなく、全てが同じように捉えられる。だから最後に見せる二人の涙も、それがハッピーエンドやあるいはビターエンドというわけでもなく、あるいは決定的な二人の「生まれ変わり」なわけでもなく、ただひたすらまた新たな日々が続くだけなのだ。そうした全くドラマティックさを欠いた映画でありながら、上記のような豊かさを包含した、あまりに映画的な傑作である。

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