2014年3月22日土曜日

眠れる美女

監督:マルコ・ベロッキオ

中盤の会話中心の”重厚な”展開をどう見るか、ということはひとまず置いておいて。

まず何よりもこの映画は窓の映画だ。
序盤の忘れがたいシークエンス。主役の一人である上院議員が、深い霧の中自転車が画面右奥からやってきて画面左の家の門へと入っていき、霧の中へと消えていくアホみたいに美しいワンショット。さらにその直後に、娘が出かける準備をしているのに気付き、父娘が真正面で向き合うシーン。問題の投票の話題になると、娘が一歩踏み出して、「どちらに投票するの?」とややけんか腰に尋ねる。一歩踏み出すことで、それまでシャドウになっていてよく見えなかった娘の顔が、ドンピシャでグレイスフルに照らされる。このクラシカルでありかつ、映画のクイントエッセンスといえる光の扱いのすぐあとには、今度は娘が玄関を出て車で迎えに来た友人たちと落ち合う様子を、玄関の窓越しに父の主観ショットで捉える。このいささか強引な、絶対にこの光景を切り取らねばならない、とでも言わんばかりのカメラワークはどうだ。さらに次のショットでは、その車のヘッドライトが、窓越しに父の顔をミステリアスに映し出す。
ここでは、窓を隔てた娘と父の対立が、ファインな光の扱いによって際立っている。このシーンの窓はきわめてメランコリックである。

さらに忘れがたいシーン。上記した上院議員の娘マリアが、ロベルトと出会う場面。ロベルトの弟が突然マリアに水をかけるサプライズショットにも面喰うが、それに対してロベルトがハンカチでマリアの顔を拭き、そのまま弟を外へ連れ出し説教する。その様子が、店の窓越しに、マリアの主観ショットで捉えられる。この兄弟の緊張関係が、結局はマリアとロベルトの恋の成就を阻むという展開を、後から考えればインプライしていたのかもしれないが、とにかくここでも窓はメランコリックな光景を媒介している。

あるいは液晶。ケータイの画面。それらは基本的にはメランコリックで面倒くさく、できれば考えたくないような光景を映し出している。

ところが終盤、もうほとんど映画が終わろうかというあたり、上院議員が乗った列車の窓は美しい日差しを車内に送り込む。2月9日朝、というサブタイトルが表れ、思わずモーニング・グローリー!と叫びそうになる。嘘である。
あるいはマリアが一人寝ているホテルの窓。ロベルトがいたときは雨が降っていて、窓からの景色はほとんど映り込んでいなかったのだが、ここではバッチリと夜明けのブルーテイストなビューティフルモーニングの光景が映り込んでいる。
そしてラスト、薬物依存者の女(マヤ・サンサ!)が寝ている医師の目を盗んで飛び降り自殺をしようとする。彼女が観音開きのガラス窓を開けると、屋外の騒音(車や通行人の音)が聞こえてくる。なぜか自殺をとりやめた彼女、メタ的に解釈すれば、彼女は自殺するためではなく、窓を開けるために窓を開けたのだ。ラストショットの窓は、躊躇なく”希望の窓”と呼んでも、怒られないのではないか。


この映画を見ていて、なぜかヒッチコックを想起させられた。おそらくそれは、マリアが水をかけられる一連の騒動が、マリア達3人が思わず笑い出してしめくくられるからだろう。このなんだかよくわからないけど、というかわからんなくて、わけわからなすぎて、笑うしかない、というこの状況で素直にケタケタと笑って見せたこの三人が、『北北西に進路をとれ』において、エレベーターの乗客が爆笑し始めるあの神技の演出を思い出させたからかもしれない。あるいは、ロベルトとマリアが警察署を出るとき、先に出たロベルトの弟と家族が行ったのを確認して出る、という軽いシチュエーション・スリラーの趣きが、『三十九夜』を思い出させたからかもしれない。
現代の複雑な関係性のなかに、大胆にも単純な二項対立をつくってしまうこと。それによって、昔懐かしの古典的スリラー空間を作り出してしまうこと。ロベルト、マリア、ロベルトの弟の三人の緊張関係には、そういう面白さがある。

病院でのエピソードはどれも素晴らしい。あのデモ隊(?)が乗り込んできて患者の布団や衣類を次々引っぺがしていくところ。『夜よ、こんにちは』ではローマ教皇が机の上の書類を次々と床に捨てていくことで、白い紙が舞うという印象的なショットがあったが、ここでもベロッキオは引っぺがされたシーツや衣類を画面上に捉えることを忘れない。

イザベル・ユペールや上院議員を中心とするドラマ。これらは上記したファンタスティックで躍動的なシーンに比べると、会話中心であり、躍動性にかける。あるいはマリアの父への”告白”は、本当に必要なのか。面倒くさい演説の反復。ベロッキオもまた、Say! What you wanna say, and let the words fall out. Honestly, I wanna see you be brave!から自由ではない。のだろうか。わからない。

三つの独立したエピソードが、演説やすんでのところでの救出(人工呼吸器、飛び降り自殺)などによってつながること、その構造的”巧さ”が、時にボーリングに感じるのも本音だ。

しかし、これは本当にエキサイティングで、クールビューティな傑作だと言うのには、何のヘジテイションもいらない。


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