監督:ルイス・マイルストン
才気がほとばしっている映画とはこれだ。
クレジット明けからの、雨の描写がすさまじい。小雨から次第に大雨になっていくのを、砂浜、葉っぱ、井戸、そして雨雲を交互に見せていくモンタージュ、そして大雨になったところでの堂々たる水しぶきの凄み。ゾクゾクするオープニングとはこれだ。
あるいは、見たものであれば誰もが印象に残るであろう長回し。たまに蛇足なのではないか、と思うようなシーンも個人的にはあるが、しかしたとえば冒頭で現地住民の踊りからパンして、歩いていく店主が店の前まで来てイスに座るまでをフォローするカメラワークは極めて見事だ。
また、ジョーン・クロフォードと兵士が店を一周する長回しも、単にフォローするだけでなく、塀をなめたり、店内の様子を奥で捉えたりと、画面の広がりに満ちていて小気味よい。
兵士の一人が帰り際に宣教師達をおちょくっていくシーンでは、円卓の周りを回るという、今ではよく使われるカメラワークも登場して、しかもこれが実に決まっている。
しかしやはり本作の見どころは何と言っても「ドア」と「階段」という映画的装置の見事な扱いだろう。
まずもって、無神論の道楽者達と敬虔な信者達という、絶対にわかり合えないであろう二組がドアと簾を隔てて対立するという状況が映画的だ。おまけに扉の向こうからはオフで音楽が聞こえてくるのだ(さらに言えば、リベラルな医師の存在がたまらない!)。
映画はその境界線を原理主義的思想によって強引に押し入ってくる宣教師の暴力性を告発する。二度目に宣教師が入ってきて、クロフォードとまったく調子の合わない会話を演じてみせる一連のシーンは、カメラの横移動や干された下着の存在感の見事さも加わって非常に面白い。
この映画が傑作であるだけでなく、同時に異端的な存在感を醸し出すのは、単に原理主義者の暴力性を告発するだけでなく、クロフォードがあろうことかその原理主義に取り込まれてしまうという展開ゆえだ。その決定的なシーンは階段において行われる。これはもう、見ろ、と言うだけで十分だろう。すごいシーンだ。
ぼくには少々説明過多に思えるシーンが少しあったが、それでも相当に強烈な傑作だ。
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