監督:アルフレッド・ヒッチコック
フルショットから始めて、そこに人物が入ってきたり、あるいは一方が他方に近づくことをきっかけに、カッティング・イン・アクションによってカメラが寄る、そこから切り返しになったり、そのまま寄りのショットで会話を描く。というのが一定のテンポに基づいて続く60分間で、その手さばきは見事だ。アトリエで画家がラリータに言い寄る場面、ラリータが憤る夫を引き止める場面、新夫の実家に挨拶に来たラリータ、などなどに対するカメラの寄り。あるいはそのフルショットの強度。
それと、パーティに来た弁護士とラリータのやり取りではなぜかイマジナリーラインが無視されている。
ヒッチコックらしい主観ショットも随所に使われていて、窓からの俯瞰で家政婦が警察を連れてくるのを捉えたショットはヒッチコックらしい。
あるいは冒頭のアトリエでのカット処理が一番見事だと思うのだが、まず酒瓶のクローズアップからカメラが引いて、ラリータと夫を捉えると、さらにカットを割ってカメラが引き、ラリータの肖像画を描いている画家の姿まで含めて捉えたフルショットになり、そこから三人を順番に(やや引き気味の)ミドルショットで映すと、次に画家を内側から映す。はて、これは一体どうした視点変更なのか、と思っていると、次にラリータを映し、ラリータが「お酒をやめて」みたいな仕草をすると、その主観ショットで夫を映す。ということは、前述の内側からの画家のショットはラリータの主観ショットであったということがわかる。つまり酒を飲む夫と画家へのラリータの心情の対比が速やかに行われている。
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