監督:アルフレッド・ヒッチコック
切り返し、視線ショットなどについて。
この映画ではほとんど切り返しがない。アリスの家の雑貨店において、あるいはその奥の居間での恐喝屋との会話において、切り返しらしきショットの連鎖はあるが、それもせいぜい一回ぐらいで、会話は基本的にはバストショット、フルショットで人物の横から捉えたものが基本的になっている。
あるいは視線ショット。冒頭、刑事が犯人の家へ捜索に来るシーンでは、刑事側の視線ショット(これは犯人の部屋に入ったとき)と、犯人側の視線ショット(厳密には視線ショットではない鏡越しのショットと、横の机に置かれた拳銃へ目を向けたときの視線ショット)が使われている。
視線ショットはその人物の視界を提示することで、その人物が置かれた状況を、どちらかといえばその人物に即して主観的に描いていると、とりあえずは述べることができるし、ヒッチコックはこれをよく使う、と思う。
しかしこのシーンの後、アリスがレストランで男に目で合図を送るシーンまで、全く視線ショットがなく、「写実的に」事態が淡々と描かれる(厳密にはアリスとフランクの二人がレストランで空席を探すときに一度視線ショットがつかわれているが)。
だがもちろんのこと、画面の強度においてかなり素晴らしい。
フランク自身の視線ショットはレストランの外で待機しているところを、知らない男と一緒にアリスが出てきたのを目撃するショットで初めて現れる。
恐喝屋が男のアパートメントの前で物陰に隠れてアリスと男のやり取りを盗み見ているシーンがあるが、恐喝屋はアリスの側から観察しているはずで、ここでは二人を横から捉えたショットしか使われていないので、人物の関係的にここでは視線ショットが使われていないことがわかる。
これ以降はいくつかアリスの視線ショットが使われ、例えば最後にも出てくる絵を見るショット、帰路においていくつかの看板や手が死体や包丁に見えてしまうショットなど、アリスの心理を表象したショットが目立つ。「ナイフ」という言葉が反復して強調される音の編集に関しても同じことが言える。
しかしこの映画はアリスの心理的葛藤を描いているかと言えばそうではなく、それがこの映画の面白さで、恐喝屋がアリスの家にやってきてからの妙な会話劇だとか、それから事態が急転して警察の追走劇になるなど、アリスはこの事件からどんどん置いてけぼりになっていく。
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