監督:イエジー・カヴァレロヴィッチ
天才的!
この周到なカメラワークと素晴らしくご都合主義な展開、そして人々が見せる運動の過剰さ。まさに夢のような映画だ!
冒頭の駅を行き交う人々を捉えた俯瞰ショットは、どれくらい「演出」されているのだろうか。例えば僕は偶然にも階段でぶつかって会釈する二人の通行人を見つけたが。
最初、男と女が部屋をめぐって喧嘩するシーンで、男が車掌を呼んで部屋に戻ってくると、カメラは女が窓の外を見つめる後ろ姿(セクシーなローネックだ)を捉え、情緒的なテーマソングがかかる。
物語上は男と女が部屋をめぐってもめているのに、「窓の外を見つめる女の後ろ姿のショット」が来るわけがない!
来るわけがないのだが、それを持ってきちゃうことで、起こるはずのない恋愛が起こるわけだ。
このショット、ドアが開くことで通路の光が彼女の後頭部にあたる。そして彼女が振り向くと、目のあたりに光があたって、その目は潤んでいる。
あるいは男と女の過剰なまでの行動。布が足にかかっているのを見て取り乱す男、気が動転して男を何回もビンタする女!この過剰さが映画だ。
あるいは、過剰さが衝突してこそ、恋愛だ。
男が女にキスをしようと身をかがめた瞬間、列車が急停車し、見事なカット割りとともに警察が列車にやってきて、そうして二人の恋愛は中断される。
そっからしばらくして、犯人を乗客達が追いかけていくシーンへと至るわけだが、これはもういずれこの犯人が捕まる事など誰にだってわかるわけで、ではなぜこの一連のシーンがこれほどまでに素晴らしいのかといえば、犯人が列車の最後部まで来てしまった時のカメラのパンの鮮烈な印象であったりとか、あるいは道中の真っ只中で停車した列車の外観の不穏な空気だとか、あるいは走りながら石を投げ合う可笑しさであったりとか、とうとう捕まる瞬間の冷え冷えとした緊張感ゆえだろう。
あるいは列車内を捜索するシーンで各部屋を覗いてみるたびに、ギターを弾いて騒いでいたり、巡礼中の尼さん達がいたりという楽しさのゆえでもある!
一件落着してしばらくすると、映画は朝を迎える。この朝の幸福感!
部屋を一つ一つ回って乗客を起こす車掌、通路でうたた寝していた乗客、あるいは窓から見える海!
「海岸まで行くの?」といった会話で何度も列車の目的地が海岸であることを知らされているため、とうとう窓から海が見えてくる瞬間は「あぁ、海だ」と思わずため息をつかずにはいられないだろう。
そしてほとんどの乗客が降りてしまった後、車掌が見回りをする列車内の静寂。あれほど人でごったがえしていた列車におとずれた、美しい美しい静寂とともに、映画はゆっくりと終わっていく。
まさに至福の100分。
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