2012年12月24日月曜日

秋津温泉

監督:吉田喜重

男と女がどうという事でもない会話をしたり、見つめ合ったり、逃げたり、捕まえたり、抱き合ったり、口づけあったり、、、という要するに「映画的な」シーンだけで構成されており、あらすじとしてはほとんど無内容と言っても過言ではないというのは、その是非はともかくとしてたまげてしまった(笑)だって、ずっとそんな感じで、「あ、また岡田茉莉子が逃げた!長門が追った!」みたいなw

しかしもちろん、重要なのは逃げること(だけ)ではなく「逃げ方」であり、その「撮り方」なわけで、横移動や、時に円状の動きを見せるカメラワークは流麗そのもの。
あるいは岡田茉莉子が振り向いたり、起き上がったりする瞬間のカッティング・イン・アクションもハっとさせられる。
それと、岡田茉莉子は何十回と衝動的にその場から走ってどっかに行くわけだが、その時に、まぁたいていは長門裕二とか旅館の女とかと一緒にいて、何かの拍子に衝動的に駆け出すというパターンが多くて、そうするとカメラはまず二人をバストショットなりフルショットで捉えて、そこから岡田茉莉子が画面の外へと駆け出す。で、驚いたもう片方が岡田茉莉子の方を見ると、その視線ショットでカメラもまた岡田茉莉子を捉える(文字で書くと長いが、まぁあまりにも当たり前のショット構成である)。で、時々この視線ショットで捉えられる岡田茉莉子が、明らかに「遠い」のである。つまり、「そんな速くねーだろ!w」というレベルの距離をいつの間にか走っている。
特に長門裕二が帰ってきたと聞かされて、険しい上り坂を駆けていく岡田茉莉子は、明らかに速い。
つまりリアルな時間を微妙に歪めて演出している。それが気持ちがはやる岡田茉莉子の心象を反映しているかどうかは置いておくとして、ここでは明らかに「リアル」以上にあっという間の時間の流れがある。
しかしそうかと思うと、上記したいくつかの流麗なカメラワークで捉えられる人々の運動は、ずいぶんとゆっくりしている。それは運動そのものがゆっくりとしているのではなく、その運動を捉えたショットが過剰に持続しているため、そのような印象を与えるのだ。
物語を説明するのに必要なショットの持続時間以上に持続させることで、このような印象が生まれているわけだ。

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