監督:ハニ・アブ・アサド
主人公の男とアナ、その二人の育ての親ともいえるエディが殺されたことを、男の方がそれとなくアナに伝えるシーンがあって、二人は思わず抱き合い、キスをする。で、それをここぞとばかり逆光で撮る(外で雨が降っていたかは思いだせん)。そしてそのまま翌朝、二人がベッドで一緒に寝ている。んで、まぁ、「育ての親が死んだのにお前らセックスかよ!」とは言わん。別にそれはいい。
そうではなくて、この一連の演出が「共通の育ての親の死をきっかけに結ばれました。めでたし」というレベルでしかない事が問題である。
逆光で撮ってもそれは演出にはならない。あるいは翌朝の二人はただただ「めでたく結ばれた二人」の絵でしかなく、育ての親を失くした男と女の姿ではない。端的に言えば、演出がない。
あるいはいくつかの格闘シーンやチェイスシーンの見事すぎる出来栄えと、それらのシーンにおいて、主役として画面中央にドーンと存在感を示す主人公。に対して、こうした格闘シーンやチェイスシーン以外のシーンにおける、あまりにも類型的なキャラクター造型。
怒りが頂点に達して机をひっくり返す男からは、「怒っています」というメッセージしか伝わってこず、その放り投げられた机の脚を捉えた見事な構図のショットが虚しい。
アナにしても、「元自動車泥棒」という過去は、車の鍵を見事に開けて見せる口実でしかなく、アナの佇まいと仕草から感じられるアナ自身の人間性は何一つ漂ってこない。
こちらが見たいのは、格闘もチェイスもしていないのに、それでも漂ってしまう運び屋の危険な佇まいだ(別にそうでなくてもいい)。
例えば『トゥルー・グリット』の、マット・デイモンの登場シーンのカッチョ良過ぎるオーラであり、『ドラゴンタトゥーの女』の、ベッドインした翌朝のダニエル・クレイグのめちゃめちゃ照れくさそうな仕草である。
要するにこの映画には細部がない。細部によって人間を描こうという意志が見えてこない。
とっても面白く見たけど、総じて貧しい映画と言わざるを得ない。
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