2012年10月1日月曜日

風にそよぐ草

監督:アラン・レネ

これは素晴らしい。財布を拾ったことをきっかけに恋に落ちる(?)中年の男女、という極めて単純な「あらすじ」でありながら、あらゆるショットで観客を驚かせてくれる、ほとんど魔法のような映画だと言っていい。
とりわけ終盤、マグリッドがジョルジュの家にやってくるシークエンスでは、主要人物4人が勢ぞろいするわけだが、このシーンの変てこぶりにはぶったまげるしかない(笑)いったいどうしてこんなムチャクチャな事をやっておいて、映画が成立しちゃうんだろう。でも成立してしまうのだ、その理由を全て把握することはとてもできないが、しかし例えば、車で新聞を広げた途端パッと対向車のライトが差し込んできて、すると俯瞰のショットに移行して、再びカメラが車内を映し、そうして突然の愛撫が始まるという一連の演出の素晴らしさがその理由の一つであることは間違いないだろう。

あるいは前半部のハイライトと言ってもいい、家族そろっての食事シーン。ゆらゆらと揺れるカメラがワンショットで家の中をぐるぐる移動しながら、家族がソファーで話したり、かと思うとジョルジュが肉を焼いて、それからみんなが着席して肉を食べる、という一連の動きを軽やかに捉える様は、まさに映画を見る喜びに満ち溢れている。なぜなら、これこそが映画だからだ。つまり、言葉で説明するには何て事のないシーン、ごくありふれた家族の食事の光景が、カメラと照明と役者の動きによって、こんなにも素敵なシーンになってしまうこと、それを目撃すること、そうして僕たちの人生が豊かになること、それが映画の魔法だ。

食事の最中にマグリットから電話がかかってきて、ジョルジュが受話器をとり、話をするわけだが、これをカメラはどのように捉えるかと言えば、画面手前だけにフォーカスを当てて、手前で電話をするジョルジュ(とマグリット)と、奥で食事をする家族たちの間の空間的な差異を際立たせているのだ。このような「圧倒的に正しい」演出には思わず「そうそう!こうだよね!」と頷くほかあるまい。

あるいは二人がついに顔を合わせるシークエンスでは、「映画を見たあとでは何もかもが自然に起こる」という素晴らしいナレーションに続いて、二人が出会い、そしてカフェに入っていく。すると画面奥に「Cinema」と書かれた映画館の看板が映り込む。こんなに泣ける演出があるだろうか。

クロード・ミレール、クロード・シャブロルら同様、老いてますます瑞々しさを発揮する魔術師アラン・レネの、怒涛の傑作である。

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