日仏の特集上映などには行けないため、その全貌の一コマすら把握できていないとは思うが、それでも近年のフランスの女性監督はかなり層が厚いという感触がある。レア・ミシウス、アリス・ウィンクール、ジュリア・ディクルノーらの作品の、気持ちの良いまでの行動主義的な作品は、粗はありつつも、全面支持したくなるような勢いがある。また、彼女たちがしばしば共同脚本のようなかたちでコラボレートしている点も、孤発的ではなく、まさに「波」として盛り上がっているということの現れなのだろう。
さて、そこにエマニュエル・ベルコである。2014年の『ミス・ブルターニュの恋』で処女長編を撮り、以後さらに2回、カトリーヌ・ドヌーヴを主演に据えて映画を撮っているという、それ自体がすさまじい事だが、今回『愛する人に伝える言葉』を劇場で鑑賞し、慌てて過去2作品を見た次第。
『愛する人に伝える言葉』(2021)
ブノワ・マジメル、ドヌーヴ、セシル・ドゥ・フランスの豪華共演だが、主治医役が本物の医師というのだから驚きだ。太陽のめざめを見たサラ医師が監督に声をかけたことがきっかけらしい。
末期癌を宣告されたマジメルの、最期の1年弱をどう過ごすか、という話。マジメルがアクティングスクールの講師をしていて、そのレッスンはかなり身体性が高く、また感情的表出を迫る。「別れ」を表現する芝居のレッスンが、わかりやすく彼の状況にオーバーラップする。一方では、マジメルとドヌーヴ親子の確執、そして生き別れた息子の存在、そして主治医とのドラマ、さらには主治医の助手(ドゥ・フランス)との関係など、ずいぶんたくさんのドラマが用意されている。エマニュエル・ベルコの美点は、たくさんのドラマを用意しつつ、それらをあまり一生懸命語らないところだ。あるいは無理に決着させないと言えば良いだろうか。母と息子の確執のドラマは、確かに一見「和解」しているように見えるが、実のところ、それほど深く互いを理解し合ったという感触はなく、また結末は見ての通り、決して居心地の良い着地ではない。また、行き別れた息子との再会を望むマジメルだったが、これも結末は見ての通り、、。こうした素直に着地しない脚本は、加害/被害のスッキリ分けられきれない部分への配慮とも言えるかもしれないが、いずれにしろ一つのドラマを中心に持ってくるのではなく、複数のドラマが一つのconstellation=布置を形作るような構成が、とりわけ本作では奏功しているように思う。何より、死の間際にあっても、家族=古い関係の修復だけが強調されるのではなく、新しい関係が最期まで人生を彩っていく展開には、とてつもない希望を感じた。
『ミス・ブルターニュの恋』(2013)
前半はドヌーヴの一人旅、後半からはネモ・シフマン演じる少年(孫)とのロードムービーという構成の作品だが、前半も後半も凄い。処女作でこんな映画を撮れてしまうのか。
前半はドヌーヴが、愛人が自分以外の若い愛人と結ばれていたことを母親から知らされ、意気消沈して衝動的に車であてもなく彷徨うという展開。実は冒頭からしばらくは見どころ薄めに感じていたのだが、60歳の未亡人がタバコを求めて車を走らせるという話が2013年に成立してしまっていることに途中から感嘆しながら見ていた。特に、最初に出会う老人が、タバコを自作で巻こうとしてなかなか巻けないというギャグみたいな展開が良い。孫のシャルリが出てきてからは、彼の独壇場である。道中でドヌーヴと喧嘩になって失踪してしまうのだが、ようやく見つけて車に乗ったと思ったら再び喧嘩になって、またもや走って行ってしまうというこの怒涛ぶり。『リコリス・ピザ』など足元にも及ばないエネルギーである。
最終的に、シャルリの父方の祖父の元へと一緒に行くことになるが、そこでボヤとウサギの脱走が重なる場面があって、このあたりの出来事の連鎖もうまく描けている。ボヤというとトリュフォーの『隣の女』を想起するが。
しかし何より、最後に出てくる「クロード・ミレールに捧ぐ」に感動した。
『太陽のめざめ』(2015)
ろくでもないシングルマザーに育てられた不良少年のろくでもない成長物語。矯正施設などが出てくるあたり、ダルデンヌっぽい感じもあるが、ダルデンヌほどの厳格さはない。ドヌーヴは彼を担当する判事役(このへんの制度の部分はよくわからないが)。
それにしても、『ミス・ブルターニュ~』では8歳の男の子に振り回され、本作では16歳の不良少年に悩まされ、『愛する~』では息子に先立たれるというカトリーヌ・ドヌーヴの役柄の変遷がそれだけで興味深い。
『ミス・ブルターニュ』を先に見たこともあり、不良少年の突発的な暴力描写の見事さには驚かないが、復学の面接でぶちギレて出て行ってしまう場面は思わず笑ってしまった。この不良少年の不良ぶり、out of controlな部分は、この映画では深刻な問題であるとともに、どこか笑えるものとして演出されていると思う(俯瞰ショットの扱い、あまり暗さのない照明、手紙の練習の執拗な反復など)。彼が横転事故を起してしまってからは、悲劇の色合いが増すのだが、しかしそれ以降が意外とサラッとしている。このへんの展開の選択には議論がありそうではあるが、トリアーのように何でもかんでも事態を悪化させればいいものでもなく、難しい。
誰もが驚嘆するであろう、病院での場面だが、清掃員が突き飛ばされる様子をしっかり捉える演出にも好感が持てるし、二人の抱擁を見てさっさと手術室に戻ってしまう医師達の描写が最高だ。まだ3つしか見ていないが、こういう部分にベルコらしさを見るし、今のフランス映画のノリの良さを感じる。
さて、こうしてみると、『ミス・ブルターニュ~』や『太陽~』が、移動によって活気づいていく堂々たる活劇だったのに対して、末期がん患者を扱うことで移動を禁じつつも、衰弱する身体や手の交錯、人の出入り、視線のドラマによって重層的な空間を形成してみせた『愛する~』には、早くも作家としての成熟と飛躍が感じられ、現代の巨匠と言ってしまって良いのではないかと思うがどうか。
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