2013年1月24日木曜日

最終目的地

監督:ジェームズ・アイヴォリー

二回見た。一回目は特にアメリカでの照明がうまくいってないと思ったが、どうも思い違いだった。アメリカでもウルグアイでもそうだが、牛乳や酒、オレンジジュースといった飲み物を実に美しく捉えていると思う。

で、やっぱりこの映画相当変な映画で(笑)、1対1での会話がベースなわけだけど、ひとつの組み合わせは大体一回しか無い。オマーとキャロライン(ローラ・リニー)、オマーとアダム(アンソニー・ホプキンス)はそれぞれ1対1で話すのは一回だ(終盤でキャロラインとはもう一度話すが、それはもう事態を決着させるためのシーンにすぎない)。しかも特にそれらの会話によって何が生まれるわけでもなく、性格の合わない二人が話しました、こうなりましたというだけであって、そう、これはまさに群像劇なわけだ。

それと手持ちカメラのうまい使い方。
アンソニー・ホプキンスと真田広之のカップルが並んで歩くショットと、オマーとシャルロット・ゲンズブールが海岸を歩くショットで手持ちのカメラが使われていたが、何というか、いいアクセントだ。いいアクセント、としか言えないのがもどかしいが、しかしそもそもこれはいいアクセント程度の志向のもと撮られているのではないか。それぐらい、「いいアクセント」だ。

そしてやはりシャルロット・ゲンズブールとオマーの顛末。おそらく意識的に赤が使われていて、まず髪を切っていたときのアンソニー・ホプキンスのズボンが赤かったのだが、ラストのシーンではほとんど同じような赤のシャツを真田広之が着ている。そしてその赤はシャルロット・ゲンズブールの赤い傘へと継承される(そもそもこれはアンソニー・ホプキンスの傘ではないのか!笑)、そうして微妙にカットが割られた2ショットのうちに、一瞬にして二人は赤い傘の中におさまり、我々が呆気にとられている間に屋敷の中に入っていく。ロング気味のフルショットで捉えられた二人の表情ははっきりとは見えないが、しかしどうもシャルロット・ゲンズブールはあの時確かに笑っていたのではないか。そう見えた。
二回見てもやはり、これは本当に幸福なショットと言うほかない。というか、このショットこそが幸福そのものだ。

もうひとつ、ゲンズブールとその娘のポーシャ、そしてオマーが庭で会話するシーン。ここではゲンズブールが独特すぎてシャルロットなまりとしか言い様のない英語で、かつての愛人との記憶を娘にせかされるように照れながら語るのだが、その会話が途切れたとき、ポーシャとオマーが、ふと空を見上げ、それと同時にカメラもカットして夜の星空を映し出す。
別になんというショットでもない。あるいはこの二人が星空を見上げる理由もなければ、何やら「星空」が物語的なモチーフとして関係してくる事もない。ただただ、何ともなしに、二人は星空を見上げるのである。その何のこともない運動が、なぜこれほどまでにエモーションを喚起するのだろうか。
星空を見上げることに何ら意味はない。いや、というより意味がないからこそ、この「意味もなく星空を見上げる」という極めて単純な運動が輝くのかもしれない。よくわからない。でもこれは、泣ける。




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