(だいぶネタバレ)
監督:ジェーン・カンピオン
これほどギリギリでおチンチンを見せない映画も珍しいのではないか。
圧倒的強度でおチンチンを撮ってみせた『ペイン・アンド・グローリー』とは逆の味わいである。
というのはさておき、、
100点満点である。
マチズモと去勢不安の精神分析的な読みをされる方もきっといらっしゃるだろうが、まぁそれは良い。
とにもかくにも第一級の物語映画である。これは映画史に残るのではないか。
ストーリーテリングとはこうするのだと、一から教えてもらうような、幼稚園の先生に絵本を読み聞かせてもらうようなワクワク感を最後まで堪能した(たっぷり毒の効いたお話であるが)。
例えば冒頭、馬で移動中のB・カンバーバッチとジェシー・プレモンスの対話。カンバーバッチが何を言っても無反応なプレモンスに対し、カンバーバッチはすっと馬を前に出して、後ろを振り返り、ぎろっとプレモンスの方を睨む(もちろん仰角ショットで)。
あるいは、K・ダンスト演じるローラと息子(コディ・スミット・マクフィー)とのやり取り。彼が手作りした写真集や紙の花を愛おしむ様子を見せつつ、直後に、フライドチキン用に鶏を調達すること、今夜は床で寝てもらうことを、いささか苛立たしそうに息子に告げる。
少し飛ばそう。J・プレモンスがK・ダンストのレストランを再度訪れる場面。ダンストは忙しさと騒がしい客にいら立っており、プレモンスとしてはタイミング悪く訪問してしまい、バツが悪い。しかしそこでプレモンスが機転を利かせて、見事に客を静かにさせる。それをドア越しに見て「やるじゃない」とばかりに微笑むK・ダンストのアップショット(※)。
もう少し先のシーン。K・ダンストとプレモンスの夫婦が、幸福な朝を迎える。プレモンスは、サプライズがあるから待っててとダンストに告げて外出する。するとその後のシーンで、プレモンスと農場の人間達がピアノを運んでくる。ダンストにとってそれは思いがけぬプレゼントだが、彼女に笑顔はなく、むしろ困り果てた様子である。
さらに飛ばす。カンバーバッチが秘密の場所でブロンコ・ヘンリーのサインの入った生地を身体に滑らせて恍惚としているシーン。このあと彼は川に飛び込み、日光を浴びながら自身の体に水をかけているが、ふと後ろを振り返ると、C・S・マクフィーがこちらを見ている。不覚をとられたカンバーバッチは、興奮して怒鳴り散らしながらマクフィーを追いかける。
あるいは、プレモンスがカンバーバッチに風呂に入るよう告げるシーン。
あるいは、詳しくは語らないがウサギをめぐるシーン(※2)。
上記したシーンのいずれも、シーンの最初と最後で、その空間が大いに変化している。ポジティブに思われた関係性や人物の内面世界に、鋭く亀裂が走り、人物の感情は高ぶり、空気や関係性が変化し、しかもそのままサッとシーンを終わらせてしまうのである。断片的なエピソードを、常に不和と唐突さを以て、いわば傷をつけたままサッと終わらせる事で、観客は思わず次の展開を固唾をのんで見守ることになるだろう。まさにこれこそが一流のストーリーテリングであり、脚本だけにも編集だけにも還元できない、映画の話法である。
こうして、あえて切断させながらエピソードを積み重ねていくことで、次第にこのニュージーランド=モンタナ(!)の広大な空間が、様々な感情が激しく入り乱れる意味空間となっていく。
その中で、K・ダンストは、先住民の手袋をつけたまま全く見事に気を失うだろう。
カンバーバッチとマクフィーは、善悪を超越した刹那的戯れを演じることだろう。
初めて肌を接触させる二人の周囲を回るカメラワークは、何度同じようにぐるぐるカメラを回してもC・ノーランやトニー・スコットには決して到達できぬ達成を見せている。
そこには扱う階級は違えど、そう、まるでジョセフ・ロージーの最良の作品のような、濃密で毒々しい、陶酔すべき時間が流れている。
そして呆気ない幕切れを飾る、簡潔で美しいラストショット。これが2021年の映画か?
まるでハリウッド黄金期だ!(一見ハッピーエンディングだが、ニコラス・レイの『孤独な場所で』さえ思わせる決定的な分断線が引かれている。)
決して派手な事は起きない130分だが、人間の本能を刺激して止まない、あっという間の130分である。
(※) このシーンは、不和によって亀裂が走る、の正反対だが、いずれにしても、関係性を変化させる出来事によって、ぐっと感情が高まるタイミングで、潔くそのシーンを終えてしまう、その手さばきの素晴らしさは共通している。
(※2) ここもあえて、トーマシン・マッケンジー演じる使用人が意気揚々と人参を持っていく展開によってショックを高めていることに注目したい。
文脈的に書くところがなかったのだが、ダンストがプレモンスに即興でダンスを教える場面は何という美しさだろう(一人じゃないって、素敵な事ね~♪)。
備忘録
・山の形状が吠える犬に見えるというのだが、わからなかった。なかなか面白い視覚の表現で、主役二人と観客の間に一線が引かれる。
・動物の表現。うさぎは2回出てきて2回とも殺される。カンバーバッチが馬を「この雌馬!」と言って厩舎から追い出すシーンがある。牛の去勢シーンがある。
・カンバーバッチの役は実はラテン語を喋る教養人という設定。知事夫妻の教養マウントにK・ダンストが固まってしまうシーンなどのいやらしさ。