2014年4月26日土曜日

5時から7時までのクレオ

監督:アニエス・ヴァルダ

DVDのパッケージが白黒なので、白黒映画なんだと思って再生したらいきなりカラーなのでびっくりするが、見ていると、実は最初のカード占いのテーブルの上(のカードとそれを並べる手)を映したショット群だけがカラーであり、コリーヌ・マルシャンの唐突なクローズアップが白黒で入ってくる瞬間はなかなかインパクトがある。
カード占いの示す「運命」の数々がカラーで映し出され、現実世界の人々が白黒でスケッチされる、というのは何かしらの意味がありそうなものだが、しかしそれ以上にこのパッとクローズアップとともに白黒の美しい画面が展開されることの視覚的刺激が素晴らしい。

この映画が紹介されると必ず、血液検査の結果を待つまでの二時間を斬新な心理的描写で綴る、といった言い方をされるような気がする。僕自身もそうなのかな、と思っていた。のだが、そんなことなかった。
カメラは決してコリーヌ・マルシャンを画面の中心に固定しない。むしろ積極的に彼女の周辺を切り取る。特にマルシャンが一人になるとき(カフェで中年紳士がマルシャンの使用人と話しているため一人になっているとき、帽子を夢中になって選んでいるとき、家をとびだして街を歩くとき、一緒に車に乗った友人が建物の中の様子を見に行ったために一人になるとき)に、カメラは一人になったマルシャンではなく、その周辺を映し出す。特に街中を歩く人々、たたずむ人々、あるいは大道芸人などを断片的に切り取った数々のショットは、アントニオーニを思わせ、またアントニオーニ以上に求心的な「顔」に溢れている。
もちろん、こういった描写は60年代の作家映画の「いかにもな」表現形式ではあるが、しかし今見てもとっても瑞々しい。

クレオ=コリーヌ・マルシャンが最後に出会う男。彼はアルジェリア戦争から一時帰国した兵士である。はじめおしゃべりな彼にいらだちを隠さぬクレオが、途端に打ち解け、横移動の滑らかなカメラワークのもと楽しい旅行映画のようなひと時を過ごし、バスでは唐突な沈黙を興じてみせ、最後には医師が何のタメもなく血液検査と治療の話をしてあっという間に過ぎ去っていくと、二人はしばらく歩き、見つめあう。この一連の二人の関係性の変転には、何ら「心理的な」説明は見られず、ただ時と出来事の連鎖のなかで、自然に=不自然に、二人の距離は近づいていくのだ。
何より二人が公園のベンチに腰かけたときのショットの光の感じが、最高に美しい。

ピアニストが家にやってくるシークエンスでは、途中ピアニストが譜面を投げることで、譜面が舞う。

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