2013年6月9日日曜日

英国王給仕人に乾杯!

監督:イジー・メンツェル

サービス精神が過剰すぎる。お膳立てがクドく、またあまりにも戯画的なタッチを使いすぎであると思う。これ自体が問題というよりは、こうした説明過剰、過剰な戯画化は、結局のところ「内容と形式の分離」を起こしてしまうがゆえに問題である。
幾何学的、機能的な動きを見せる給仕人達の動きは、動きそのものの美しさよりは、雰囲気というか、なんというかそういう、いわば「甘い方向」に流れている。
あるいはそうした戯画的なタッチが破たんする瞬間の弱さ。ホテル・パリの主任給仕が食器やテーブルをひっくり返して出ていくショットの弱さ。

メンツェルの『厳重に監視された列車』もまた、サービス精神の旺盛な映画だった。しかしそうしたややもすると過剰な説明的描写が、それ自体として、つまりその形式において、「戦時下の物語」という「内容」との緊張感を持っていた。そしてその緊張感が奇跡的であった。

とはいえ、伐採されて倒れる木をフォローしたカメラが、見事に女のバストショットに着地するショットだとか、女性たちのエロスであるとか、ホテル・パリの階段の存在感であるとか、あるいはチホタ荘での食事会がエスカレートして食べ物の投げ合いになっていく楽しさなどは特筆すべき描写だろう。

ホテル・パリの給士長とドイツ人とのやり取りは、もう少し緊張感を持たせられなかっただろうか。

しかし面白い映画ではある。何より現代パートの謎めいた、しかしどこかノスタルジックな描写には力がある。

2013年6月8日土曜日

新学期操行ゼロ

監督:ジャン・ヴィゴ

『炸裂するウィークエンド』とかいう蓮實重彦のウィークエンド評があるけれども、この映画のスローモーションほど「炸裂」しているシーンもない。
視覚の力によって、うそをまことに変えてしまう恐るべき映画の力だよね、これは。

また、中盤の屋外を子供たちと新任教師が散歩するシーンがとても素晴らしい。
校長と教頭が子供たちについて話し合う会話をかぶせて、子供たちの走ったり転んだりする様子を活写している点において、きわめてカッコいい。もともとこういう、(時間的に距離的に)遠く離れた者の科白をかぶせて、ちょっとMTVっぽく(というか説明を最大限省いて)撮った映像がとても好きで、最近では『裏切りのサーカス』の序盤のシーンがまさにそれであって、あそこだけとても気に入っている。科白がかぶさることで、シーンが浮き上がる感じがいい。
それと、ここのシークエンスで、通りかかった女性をみんなで追っかけるというわけのわからないシーンがあるが、女性が逃げて角を曲がる直前までをロングで撮り、曲がる瞬間に彼女の足を映し、さらに追随する子供たちの足を映す、というこのカットの呼吸がとても素晴らしい。このシーンだけでなく、ここのシークエンスは全体として、「リズム」重視で撮られていて、たとえば子供たちがもみくちゃになって転がる横をバイクが通過したりとか、そういう工夫がなされている。

あるいはオープニング。二人の子供がお互いに手品やかくし芸を披露し合うシーン。こんなに幸福感のある描写ができてしまうものか。

2013年6月7日金曜日

海辺の家

監督:アーウィン・ウィンクラー

あまり集中できないまま終わってしまったが、壁を削って強引に窓をつくったり、家をぶっ壊したり、という破壊がある一方で、人が立ち去っては現れる映画でもある。人が立ち去る、というのは何とも言えぬエモーションになる。特にスコット・トーマスの旦那が家の前で彼女と別れるところ。
あるいは立ち去ったと見せかけてバックで戻ってくるスコット・トーマスだとか。

一番良いシーンは、最後まで名前も明かさぬ看護師が、ケヴィン・クラインの頬に手を当てるシーンだろう。「愛する者同士は肌に触れ合うものでしょう」というセリフも美しいが、何より彼女の後ろ髪に当てられたキラキラとした光がブロンドの髪をほとんど神々しいものにまでしていて、このあまりのも「仕事から逸脱した」行為を、視覚的に、強引に説得力を持たせて成り立たせてしまっている。その絶大なるエモーションの力に感動する。

唇を閉ざせ

監督:ギョーム・カネ

出だしのオープンテラスでのムーディな演出、さらに翌朝のあまりのもメロメロな湖畔でのデート、そして突然の災難までの10分間は、近景で体のパーツを追いかけながらサッと遠景に引く、という手法においてクロード・ミレールの『ある秘密』、『リリィ』のように素晴らしい。ともするとMTVみたいになってしまうのだが、ここではむしろ映画ならではの幻惑的な手さばきとして成功していると言ってよいだろう。

中盤になるとこの手法はあまり見られなくなり、あるいはやり手の弁護士の弁論術だとか、二種類もの回想を使っての種明かしだとか、どうにも面倒くさいシーンが目立ってしまう。
特にやり手の女弁護士は、いや良いとは思うが、しかしこのキャラクター自体がはっきりいって不要である。彼女が検事を言いくるめるシーンなど、もはやなぜこんな面倒くさい話についていかなくてはならないのか、と思わせる。
あるいは、彼女の役割は中盤でフランソワ・クリュゼに警察が病院に来ることを教えるというただそれだけのことで、ほとんどこれだけのために要請されたキャラクターなのかもしれないが、しかしこんなのは、診療中の色盲の子どもが窓の外を指さして「あれは何色?」とでも聞いて、パトカーの存在に気づく、ぐらいでいいのではないだろうか。

さて、しかし僕がこの映画でもっとも気に入ったのは、上記のシーンで逃げ出したフランソワ・クリュゼが、ハイウェイを強引に横断して警察を撒くシーンだ。
彼だけが何故か余裕で疾走する車の網の目を抜け、警察は全くついていく事ができない。この辺のご都合主義も面白いが、何より全く進むことができずにイライラし始める警察をフランソワ・クリュゼがドヤ顔で凝視するショットだ。
なぜにドヤ顔なのだ。というより、一応追われている身なのだから、勝ち誇ってる暇があったら逃げろ、と言いたくなるが、しかしフランソワ・クリュゼは、まるでマトリックスのネオのように、ドヤ顔を決める。このバカバカしさに思わず笑ってしまう。素晴らしく決まっている。

なかなか面白い映画ではあるが、中盤~終盤の説明的な展開が致命的でもある。あと、カメラマンの女性が殺されるシーンのあの発砲する瞬間のショットがダサい。
が、黒幕が逮捕されるシーンの、ジョッキーが落馬するショットとのカットバックとか、結構良い。あるいはクリスティン・スコット・トーマスが最高である。
ラストに再会し抱擁を交わした二人を映したカメラはそのまま上空へ上がり、過去の二人を映し出して、終わる。オープニングで見せたメロメロのナルシスティックな演出が、最後に帰ってきて、思わず拍手。