監督:ジャン・ルノワール
これは素晴らしい。ナン・レスリーの扱いが中途半端に過ぎたり、冒頭の悪夢がほとんど機能していなかったりと、トータルの完成度では決して最良とは言えないのかもしれないが、しかし要所要所の細やかな極めて効果的な演出に溢れている。
とても特徴的なのが、オフの声の入れ方だ。もちろん多くの映画でオフの(画面外の)声を聞かせる演出は使われるが、この映画における、「会話に参加していない者が(画面外の)会話の内容を聞いて、事態を察する」という演出はとても素晴らしい。
ロバート・ライアンがビルとトッド(チャールズ・ビックフォード)の間に事件があった事を察してしまうシーン、そしてジョーン・ベネットが持ち出した絵画に、ビックフォードとライアンが言及しているシーン(ちょっと説明がしづらいね。まぁ作品を見てください)でこのオフの演出が使われている。
あるいは平手打ちの音を外で聞くという荒唐無稽な演出!
チャールズ・ビックフォードの存在感が圧倒的である。見るという機能を失った目のギラギラとした輝き。
最初にロバート・ライアンに出会ったシーンにおいて、ソファーに座ったまま、帰ろうとするライアンの方を振り向いたときのショットが絶品である。このアングルはとても46年の映画とは思えない。あるいは「振り向く」という動作を省略し、「すでに振り向いている」ビックフォードを映し出すことで、違和感を生じさせ、それがサスペンスになる。極めてシャブロル的である。
あるいは浜辺での密会中、浜辺にビックフォードが現れるシーンの素晴らしいこと。このシーンの素晴らしさに関しては何も言う必要が無いだろう。カメラの距離、カットの割り方、音の使い方、その全てが完璧である。
そしてビックフォードとベネットが並んで昔話に興じるシーンも見事だ。この眼差しね。凄い。
オープニングから中盤にかけて、あるいは終盤にしてもそうだが、この映画ではとにかく視界が狭い。常に霧やら大雨やらが空間を覆っており、人々の視界を曇らせ、場所と場所の距離感を喪失させる(ちょっとクリシェだけれども)。その曇った視界において、多くの人々がほとんど血迷うようにして行動を起こしていく。大雨の中現れたビックフォードに対して「夕食までは無理です」と言いながら夕食をいただいてしまうライアン、突然深遠な話題をしてしまうジョーン・ベネット(ちなみに暖炉に薪をくべた直後のジョーン・ベネットのクローズアップの神々しさは凄い)、そして一度は救援の要請を退けながらも、突風で開いたドアを閉めて一呼吸置いただけで考えを変える駐在員。こうした場所性の喪失+衝動的な行動様式の映画っぷり。
いやー、こういうのを何度も何度も見たいね。
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