監督:ライナー・ウェルナー・ファスビンダー
これは凄い。呆気にとられながら見た。
ミュンヘンの街の風景を捉えたカメラワークは、最良のヴェンダースに匹敵するし、物語の恐ろしいまでの厳しい突き放し方はほかに類を見ないほどに鋭い。
前半は、初老の未亡人エミと、モロッコ人労働者アリの純粋な愛と、二人に向けられる世間、家族の偏見に満ちた視線の相剋が描かれる。サークの『天が許し給うすべて』と非常に似たあらすじだが、人種的偏見を正面から描く点で異なる。また、エミも決して裕福ではない(が、服のデザインなどに、かつては裕福だったことが垣間見られる)。
アパートメントの住人、勤務先の掃除婦などの露悪的な偏見と、それに毅然と抵抗するエミのドラマとして、実にオーソドックスな作りとも言えるが、窓を介した構図の作り方などに圧倒的作家性が宿ってもいる。
しかし真に驚かされるのは、後半の展開だ。
エミとアリが、(オープンテラスでの二人の対面の感動的なシーンのあと)偏見に満ちた世間から逃げ出すように旅に出て、そこから帰ってくる。帰ってくると、人々は以前よりも明らかに寛容な態度で接するようになっている。しかし一体何があったのかは、全く説明されない。ただ突然にして、世界が変わってしまう。このガラッと世界が変わる感覚は、『あやつり糸の世界』にも通じるものかもしれない。
さて、世界が寛容になったとき、エミとアリのかたい絆は、むしろ綻びを見せ始める。これは皮肉だ。そして更に、あれほど世間の偏見や差別に心を痛めていたエミが、例えば新しく職場にやってきたヘルツェコヴィナ人に対しては差別的な態度をとり、また同僚を家に呼んだ際には、アリの筋肉を見せびらかすという、ステレオタイピングを無自覚に行ってしまう。この皮肉な展開はどうか。エミは決してヒロインではないのだ。なぜなら彼女は戦時中は(みなと同じように)ナチスに入党しており、その事を平然と言ってしまう人間なのだ。映画は彼女を断罪するわけではない。むしろ、たとえプラトニックな愛を経験し、差別を目の当たりにしたとしても、そうそう人は変わらないのだ、という諦念すら漂う。なんと厳しい映画だろうか。
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