2022年4月27日水曜日

チタン TITANE

 監督:ジュリア・ドゥクルノー

市橋容疑者みたいな話である。
主役の女がなぜ人を殺しまくるのかが最後まで不明である、という点が良い。その意味で、『プロミシング・ヤングウーマン』の対極を行く映画といっても良い。「理由のある暴力」に溢れた現代映画界では、ことさら新鮮な印象をもたらす。

自身のチタンプレートが埋め込まれているのと同じ部位に、針を突き刺すという「所業」が、それなりにスペクタキュラーで、冒頭からグイっと引き込まれる。鏡を取り入れた構図も良い。
前半は「何をしでかすかわからない」という興味をかき立てながら、上記のような巧妙な絵作りでテンションを持続させることに成功している。
逆に、後半になってヴァンサン・ランドンが率いる消防隊に入ってからの展開はつまらない。”ダンス”がひとつのキーとなっていて、全部で3回、ダンスシーンが出てくる(ヴァンサン・ランドンとのダンス、消防隊員が酒を飲みながら踊るシーン(スローモーション多用)、そして、車庫でのEDM⇒ストリップ風のダンス)。
最近の映画祭受けの良いヨーロッパ映画には、かなりの確率でダンスシーンが出てくる。それぞれにその「意味」するところには微妙な違いがあると思われるが、例えば本作の場合は、ダンス・ナンバーが、それに合わせて踊る人間達の「縄張り」の暗喩になっているのかもしれない。したがって、両性具有的な生を生きる主人公は、そこに居心地の悪さを感じる。
だが、映画全体として、これほどダンスシーンが入るのは、最近では『BPM』ぐらいで、ちょっとバランスが悪すぎるように思うし、それぞれのシーンが大したインパクトを残さず終わってしまうのも残念だ(その意味で、ものの数秒でインパクトを残してしまうリューベン・オストルンドのスマートさを思う)。

このように、「ノリの良い」「理由なき殺人」が影を潜め、ただ居心地の悪さを強めていくのみの後半は明らかに失速しており、それゆえ禍々しく演出されたラストも肩透かし感が強い。というか、これならヴィンチェンゾ・ナタリの『スプライス』の方がよほど「過激」だろう。

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と、つまらないラストシーンをわざわざ「解釈」するのもあまり気が進まないのだが、ラストにはどのような意味があるだろう。
彼女が赤子をついに出産する直前、「父」であるヴァンサン・ランドンは自身の腹部に酒をたらし、そこにライターで火をつける。火は彼の腹部を焼くが、途中で耐えかねて(?)毛布で火を消す。かくして、彼の「お腹」には火傷ができる。
そしてそのまま寝室へ行くと、まさにこれから産まんとする"息子"の姿が。”息子”と信じていた人間が実は"妊婦"であることを知って、反射的に激怒する父であったが、思い直したように、彼女をベッドに寝かせ、分娩を手伝い、やっとの思いで彼女の膣から赤子を引き出す。人間と車の合体産物(ポスト・ヒューマン?)である赤子を産み落とした彼女の腹は引きちぎれ、また彼女はそのまま死んでしまう(ように見える)。
"父"はその赤子を腕に抱え、絶命した母の横で自身も横たわる。
このお産という「腹の焼けるような」経験の直前に、放心したような表情で自身の腹を焼く意味はなんだろうか。
彼は、どこかで彼(女)が、"息子"ではないと薄々感づいているが、心の空虚さを埋め合わせるために嘘をあえて信じているように見える。この父は、現代人の「末路」なのかもしれない。真実から目を背ける迷える現代人が、(腹を焼くことで)産みの苦しみを疑似体験し、男女二元論を超えた、ポストヒューマンの誕生に、手を貸したのだろうか。


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