監督:レオス・カラックス
カラックスは『汚れた血』、『ポンヌフの恋人』、『ホーリー・モーターズ』を見ただけというレベルの観客なので、あまり大それたことは言えないのだが、『汚れた血』でドゥニ・ラヴァンが疾走する有名なシーンなど、ヴィジュアルインパクトの大きいアイデアを、絵具をキャンバスにぶちまけるように炸裂させて、ハマればとことん良いけど、ハマんないと退屈、というイメージがある。特にポンヌフの恋人が気に入っている(濱口竜介が選んだ3作品を上映するというせんだいメディアテークの企画で見た)。
で、この『アネット』。2回、思わず涙してしまった。1回目は初っ端。レコーディングと見せかけて、歌いながら歩きだし、キャストが集合して、さぁ行くぜ!という感じで路上に出ていくというワクワクするオープニング。フィクションとは、パフォーマンスとは、そしてパフォーマーとは、なんてカッコいい人達なんだと、いきなり感極まってしまった。ズルいと言えばズルい。そしてラストのアダム・ドライバーと子供の対面での歌唱シーンも、それまで「マリオネット」として表象されていた子供がついに内に秘めた憎悪をぶちまける、その残酷なまでの対決に感動せずにはいられない。
しかし全体として、もっと真面目にミュージカルをやっても良いのではないか。高まりそうなところでフッと終わってしまって、もどかしいシーンが多かった(特に法廷)。
また、海のシーンもちょっとローキーすぎるのではないか。スクリーン・プロセスのやたら高い波に比して、あまり躍動感がなかった印象である。
あるいは、装置と演者の関係が、スタティックな次元にとどまっている。
小道具や装置が、画面を活気づける場面が少なく、人間の動きと歌唱だけが前面化している。たとえばアダム・ドライバーとサイモン・ヘルバーグが対決する場面では、ヘルバーグが座ろうとした椅子をドライバーが取り去って、ヘルバーグがズッコケるのだが、こういう演出がもっとあってしかるべきだろう。
題材と、「パフォーマーのパフォーマーぶり」を中心に持ってくる指向性を含めて、『ドライブ・マイ・カー』の重力圏にいると思うが(「妻を殺した」と独白するドライバーの圧巻のパフォーマンス!)、そういう意味でどちらも上記のごとく、モノとヒトの動的な関係への無関心ぶりが気になって仕方がない。