監督・脚本:ライアン・ジョンソン
ダニエル・クレイグ演じる探偵が、アナ・デ・アルマス演じる看護師をガイド役に謎解きを展開するミステリー映画。
映画は、各々のキャラクターの証言を切り口に、事件があった日の出来事を回想として描いていく。同じ出来事を異なる視点で描くことで、事態の全体像を漸進的に明らかにしていく手法をとっていて、部屋の向こうから聞こえてきた会話が、別の回想ではその会話の当事者の視点で描かれる。あるいは、先に回想シーンを描いたうえで、その内容を証言者が「ごまかす」という順番もある(例えばC.プラマーに浮気のことを問い詰められた事を
、ドン・ジョンソンがごまかすといった具合)。こうした、物事の裏と表を、視点の移動による見え方のギャップによって、物語を様々な方向に複層的に展開していく、まずはその巧みな脚本を褒めるべきだろう。正直、冒頭から回想が何度も挿入されたときには、「またフラッシュバックの多用か」と辟易してしまったのだが、意外にも映画はそれによってリズムを失うことがない。これは、回想以外のシーンの演出、カット捌きが非常にエキサイティングであることによるだろう。
特に、一通りの尋問が終わったあと、部屋の外へ出ていくトニ・コレット→C.プラマーの部屋で手紙を探すドン・ジョンソン→そのジョンソンが外に投げた野球ボールを後景に、邸宅から出てくる探偵と刑事を捉えたショット→アナ・デ・アルマスが聞き耳を立ててるところにダニエル・クレイグが窓の外からヌッと現れるショットの連鎖が素晴らしい。というか、この一連のシークエンスで一気に映画が加速した印象を持った。
あるいは、邸宅周囲の風景の、70年代のイギリス映画のようなしっとりとした美しさも忘れ難い。
さて、ではこの映画は、物語の意外性、視点を変えることで真実が変わっていくことのおもしろさに尽きるかというと、それだけにとどまらない。
この映画の最大の魅力は、真実が明らかになるにつれ、アナ・デ・アルマス演じる看護師のパーソナリティがどんどん深みを増していく点だろう。
人の好さそうな、しかしちょっと内気で危うさを抱えた看護師が、様々な出来事を機転に、大胆さと狡猾さを露わにしていく。
例えば庭先の足あとをズタズタ歩いて消してしまうところ、ビデオテープのネガをこっそり回収してしまうところ、火災現場でD・クレイグに見つかり、決死のカーチェイスを展開するところ、クリス・エヴァンスにゲロをお見舞いするところ、、、と、事態の展開とともに彼女自身が覚醒していく、まさにヒッチコック的な活劇を体現していくのが素晴らしい。それでありながら、看護師としての人徳すらも巧妙に映画としてフィーチャーするのだから、まったく見事な脚本、演出と言うほかあるまい。
ラストの、コーヒーをすする姿は天晴れである。
いかがわしくも優しいダニエル・クレイグ、ジェイミー・リー・カーティスの発狂ぶり、マイケル・シャノンの悪役ぶりも素晴らしい。
「ドーナツの穴が埋まったと思ったら、それもまたドーナツ」(大意)というセリフも素晴らしい。
『女神の見えざる手』に匹敵する、文句なしの娯楽作品。
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