恵比寿で細々とやっているポーランド映画祭に行ってきた。少しでもポーランド成分を感じたうえで挑もうと思い、今年のノーベル文学賞をP・ハントケと一緒に受賞したオルガ・トカルチュクの『逃亡派』を移動時間に読んでいたが、旅をテーマにした無国籍的/多国籍的なエッセイ風小説で、ポーランド感一切なし。まぁそれは良いとして。
『ソリッド・ゴールド』
今年製作された純粋なエンタメ映画。監督はポーランド映画協会の会長らしいヤツェク・ブロムスキ。ポーランド映画というと、ワイダをはじめ、ムンク、カヴァレロヴィッチ、ザヌーシなど、大文字の歴史や社会主義体制をめぐるあれこれを題材にした作品が今のところ有名だし、最近も人気のポーランド映画監督といえば、パヴェリコフスキのような人だ。
なので、こういう娯楽に徹したサスペンス映画はちょっと新鮮。そしてそのレベルの高さに驚愕した。
まず、いきなり『SOLID GOLD』のタイトルがグディニャの夜景を背景にバーンと出て、さっそくヤヌシュ・ガヨスが部下を招集するシーンが始まり、瞬く間にターゲットがいるというカジノへ突入。しかし敵に裏をかかれて、女刑事が連れ去られる。そこで強姦を受けるも、隙をついて敵を撃退。しかし彼女は強姦されたショックの方が大きく、事件を詳細に報告することなく、また捜査のミスの責任を負わされ解雇させられる。ここまで10分ぐらい。恐るべきスピード感だが、撮影は艶っぽく、落ち着いたカメラワークで魅せる。
映画は一気に8年後に飛ぶ。そこで新たにポーランドの港町グディニャを支配する銀行マンが捜査のターゲットとして浮上する。ヤヌシュ・ガヨスが捜査を進めることになり、その仲間として8年前に解雇した例の女性刑事を再び復職させる。
ここで彼女が子供を連れたシングルマザーであることが判明し、観客の9割は父親が誰か理解するだろう。
さて、映画は全部で150分以上ある大作で、事態はなかなか複雑である。件の銀行マンと提携する老いた投資家の暗躍、ワインバーの店長の殺害事件、密輸をめぐるロシア・マフィアとのいざこざなど。さらにすでに老年期に入っているヤヌシュ・ガヨスと妻のほろ苦い会話劇。
これだけてんこ盛りなので、かなり場面の転換が多い。しかし上記のごとく、撮影は快調で、過不足のないショットでバンバン活写していくので、全く飽きない。無駄な回想シーン一切なし。くだらない泣かせ演出もなし。最も称賛すべきは、上記のシングルマザーである女性刑事のドラマパートの潔さだろう。
シングルマザーものといえば決まって、「父親の不在」という問題が出てくるし、ドラマの盛り上げ要因とみなされる。本作でも確かに、娘が一度だけ「なぜ私には父親がいないの?」と母に尋ねるシーンがある。それに対して、お茶を濁す母親、というのもありがちと言えばありがちだ。映画はそのことをわかってか、それ以上この問題を執拗に掘り下げることをしない。「なんでパパがいないの?」と娘が泣きじゃくるシーンなど一切なし。強姦シーンのフラッシュバックも一切なし。そんな使い古された表現よりも、二人が車を降りて学校に行くまでの十数秒のやり取りを見れば、母親がどれほど娘を愛し、また知的に育て上げてきたか、そして娘がそれにいかに応えているかが伝わってくるだろう。この、母親が車のドアを開けると娘のランドセルが見えて、娘がそれに続いて降りてくるところから始まる送迎シーンが、この作品では3,4回出てきたと記憶するが、二人のウィットに富んだ素晴らしい会話劇が始まるたびに、ワクワクが止まらない。なんと素敵な母娘の描写だろうか。感傷に対するユーモアの勝利だ。
映画の最終的な着地も、なんだか常識外れで面白い。刑事と金融マンの対峙によって、物語は緊張感を帯びるのではなくむしろ哀愁を漂わせはじめ、最終的にロシア・マフィアが良いとこ見せて、終わり!社会派サスペンスと見せかけて、この落とし方はずるい。
そしてクライマックスであるロシア・マフィアの逆襲はスローモーションで描かれるのだが、なぜか現場にいたカフェのウェイターが慌てふためく様子がスローモーションで撮られるのが謎。
謎だったのだが、これ、もしかして『時計仕掛けのオレンジ』のオマージュ!!??
150分超えでも全然飽きないのは、役者の魅力もあるだろう。
主人公のマルタ・ニェラディキェヴィッツが素晴らしい。娘への温かい眼差し、敵を追いかける姿のクールさ。彼女自身が8年間で成熟した人間になったことが非常に説得力をもっ
て伝わってくるのは、この聡明な女優の佇まいのおかげだろう。繰り返すが、回想、フラッシュバック、一切なし!
あるいはロシア・マフィアを演じる男の顔、密輸に関与した気の良さそうな太っちょパイロットも印象深い。鑑識がなぜかゲイの設定であるのも、深くは関わってこないが、良い味付けとして効いていると思う。
それにしても、娯楽作の一種として楽しめればいいかな、という感じでのぞんだのだが、まさかこれほどストイックで、ちょっとシドニー・ルメットを思わせるようなサスペンス映画になっているとは思いもよらず。
この監督が凄腕の職人監督なのか、それともポーランドのエンタメがこの水準なのか。社会派きどった某国の娯楽作など恥ずかしくて口に出せないレベル。いやはやおそるべし。
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