2015年2月19日木曜日

ヴェールの政治学(みすず書房) その1

(著)ジョーン・W・スコット (訳)李孝徳

めずらしく本のレビュー。

フランスでは2004年に公立学校で、イスラームのスカーフを主とする宗教を誇示するものの着用を禁止する法案が可決された。
本書はこのいわゆる「スカーフ論争」を、まず第一章でその歴史的経緯に触れ、これまで3回スカーフ論争がヒートアップしたということ、そしてそれは国民戦線などの極右政党が勢力を強めるたびにそれに妥協する形で槍玉にあげられてきたという点を挙げたうえで、続く第2章から順番に、「人種主義」、「世俗主義(ライシテ)」、「個人主義」、「セクシャリティ」といった観点(もちろんそれぞれがそれぞれと複雑に結びついている)からアプローチをすることによって、西洋文明 VS イスラーム という単純な二元論を批判しつつ、論争全体を考察している。

ちなみに「ヴェール」というのは、主に法案賛成派がこのスカーフを指すときの呼称として使われる、ということらしい。この「わざわざ『ヴェール』と呼ぶこと」もまた、本書では分析されている。



まず「人種主義」との関連で見たとき、これはフランスのアルジェリアを主とする植民地支配、そしてアルジェリアの独立、ならびに北アフリカからの移民の流入といった歴史的経緯があり、そのなかで植民地とその現地住民、移民とその文化圏に対する、フランス人による差別が続いていると本書は指摘している。

北アフリカからの移民、あるいはイスラーム教徒に対しては、「野蛮」、「未開」といったイメージがつきまとった。
そして、アラブ/ムスリムの劣等生を表象するために、時代ごとにさまざまな特徴が選び出されてきた。宗教的実践や農作業、思い込みでしかない性癖、家族構成、男性のトルコ帽や女性のヴェールなどのような着衣などである。・・・フランス人のまなざしにおいては、ヴェールは、ながらく共役不可能な差異とイスラームの同化不可能性の象徴であってきたのである。

重要なのは、フランスの植民地政策以来続く「啓蒙的なレトリック」と、人種主義的な「客体化(同化は不可能)」の間にある矛盾(=文明化の使命のパラドックス)であるという。
すなわち、包摂するという約束が、フランス人になることを選んだ者に履行される一方で、「文明化」が必要だとしてこれらの人々を有標化するまさにその特徴は、彼女ら/彼らが約束を現実化できないようにするものなのである。(p.102)

要するに、「野蛮」であるがゆえに啓蒙が必要なのだが(抑圧されているがゆえに解放が必要なのだが)、「野蛮」であるがゆえに啓蒙されない(抑圧されているがゆえに解放されない)ということではないか。


植民地時代においては、現地住民のフランス人による描写が主にそのイメージを形成しており、特にセクシャリティの面においてその「客体化」が露骨であり、その中心的表象装置として「ヴェール」が扱われていたという。

アラブ人男性は犯罪性と性を結び付けて描かれたものの、アラブ人女性は、アルジェリアとフランス双方で、フランス植民地主義者の想像を駆り立てた。早いうちから、(富と探検が誘引だった)征服に伴う空想は性的な征服の体裁をとることになった。

この時代から〔19世紀中頃〕、漫画ではこうしたテーマ―勝利したフランス兵が「戦利品」として原住民女性を奪い去る―が描かれている。

ヴェールは挑発にして性の否定であり、セックスアピールでありながら性を拒否するものでもあった。ハーレムは、監獄にして娼館であり、束縛にして自由奔放の場所であったのである。


「人種主義」の章では、アルジェリア戦争におけるヴェールの意味づけの変遷が、表象文化論的に分析されていて興味深い。
この頃には、植民地支配を継続すべきという声と、フランス人とムスリムは融和不可能だから独立させてよろしい、という声で二分されていたらしい。アルジェリア人の側は独立に向かって前進していたわけだが、そうした独立勢力にとってのヴェールが持つ意味はきわめて複雑で、ややもすると矛盾したものですらあったという。

なるほどヴェールは、フランスによるアルジェリア占有の拒否であり、アルジェリア人にとって自立したアイデンティティを主張する方法であった。しかし、民族主義的・社会主義的革命の指導者たちの多くは、自分たちを近代化主義者だと考えていたから、彼らにとってもヴェールは最終的には克服されなければならない後進性のしるしであった。(p.73)

加えてヴェールはフランスに対する戦争において有用な道具になった。男であれ女であれ、戦闘員は武器や爆弾を秘密裡に運ぶことができたからである。(p.74)

後述するように、学校でのスカーフ着用においても、法案の反対派のなかには、近代化すればヴェールはいらなくなる、つまりヴェールを着用しなくなることが学校教育のゴールであると考え、その入り口を閉ざしてはいけない、という論理もあるのだという。

フランツ・ファノンの説明では、革命家にとってのヴェールの位置づけは難問であったことがわかる。ファノン自身は、将来的には男女間の不平等の伝統的な象徴はなくなるだろうと想像していたものの、ヴェールが植民地支配に抵抗するあり方だとも理解していた。「黒人を創りだすのは白人男である。しかし黒人性を創りだすのは黒人である。ヴェールに対する植民者の攻撃に、被植民者はヴェールの礼賛を対置する」

もともと宗教的な帰属であったものが、差別の対象となり、それゆえにそれが被差別者のアイデンティティになり、さらには(武器を秘密裡に運ぶのに使われたという意味では)転覆の道具、闘争の手段(ということは、解放の象徴)となっていったわけである。

以上が第2章「人種主義」の大まかな要約であるが、その他の章と共通するのは、そこには「ムスリム」あるいは「移民」に対する画一的なバイアスとそれに依拠した西洋vsイスラームという二項対立の強化があるということであり、この章では特にその「人種主義的なバイアス」が「セクシャリティ」などと結びつき強化され、「ヴェール」がその象徴となっていったということが詳述されていることになる。











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