2022年9月21日水曜日

ペイド・バック

 監督:ジョン・マッデン

ジェシカ・チャスティン、サム・ワーシントン、トム・ウィルキンソン

この映画が圧倒的に勝利している理由は、ベルリンのパートでのサム・ワーシントンとジェシカ・チャスティン、マートン・ツォカスの三角関係を甘ったらしくせずに、視線と手の演出によってシャープに描いているからである。
診療所の前でのみ夫婦を装い手をつなぐ二人。距離が離れるとすぐに手を離すが、2回目の診療でチャスティンが動揺しているのを察すると、二人はもう一度手をつなぐ。
寡黙なワーシントンと、意外と気弱なチャスティンの関係のサスペンスは、任務後に開かれるパーティでも再現されるだろう。一緒にイスラエルを出ようと懇願し、ワーシントンが握ったチャスティンの手は、残念ながらすぐに離されてしまう。そこで彼は彼女と一緒になれぬことを悟り、孤独に生きていくことになる。このような手の演出は、もちろんスパイ映画としての情報の交換も含めて横溢しているが、ある程度はマシュー・ヴォーンの脚本が貢献しているのだろうと想像するが、そもそものネタが面白すぎるという感じもある。
イェスパー・クリステンセン演じるナチス党員の悪役ぶりも見事であった。




2022年9月17日土曜日

NOPE ノープ

 監督:ジョーダン・ピール

冗談ピール、と言いたくなる冗談みたいな映画。
もちろん、人種的マイノリティが「目を合わせない」ことを生存戦略とする現実の反映はあるにせよ、前2作ほどそのテーマ性は強くなく、それを飛び越えてホラ話に大振りしているのが新鮮であった。シャマラン、あるいはデ・パルマ的な、映画モチーフの氾濫も目を引く。
「目を合わせない」ルールだが、終盤で兄娘がそれぞれ目を伏せながら、お互いの行く末を見守る、という感じが、妙な味わいで印象的だった。家の上で人々の悲鳴だけが聞こえる、というのはなかなかショッキングな演出。ということで、見どころは多い。

しかし、サウンドによる演出の主張が強すぎるのはいささか気になる。簡単に言えば、「ここはこう見てくださいね」という演出が随所にあるのだ。例えば遊園地の経営者のカウボーイが、過去を語ってフラッシュバックするシーンは、過去を語っている場面から仰々しいサウンドが流れる(フラッシュバックのショットになって初めてその”意味”がわかるようになっている)。あるいは、電気屋の店員の背後から同僚がやってくるシーンでもホラーサウンドが加えられている。ほかにも、それ自体では特に何も起きていないシーンにサウンドエフェクトをかけて煽ってくる演出が多く、一個一個はそれほど気にならないが、振り返ってみると無駄が多い。
しかし撮影は堂々たるムードで、砂煙の演出とか、どこまで実写でどれぐらいCG使ってるのか気になった。
父親が馬から転落して、彼のテンガロンハットがころころ転がるのが良い。これもワンショットで撮ってるが、撮るの難しいのでは?笑


2022年9月15日木曜日

My Best Films in 2010s

1.  Death in Sarajevo (Danis Tanovic)

2.  Transit (Christian Petzoldt)

3.  The Personal Shopper (Olivier Assayas)

4.  Miss Sloane (John Madden)

5.  Nightingale (Jennifer Kent)

6.  Sully (Clint Eastwood)

7.  Madre (Rodrigo Sorogoyen)

8.  Julieta (Pedro Almodovar)

9.  The Past (Ashgar Farhadi)

10. Little Joe (Jessica Hausner)

2022年9月14日水曜日

隣の女

 監督:フランソワ・トリュフォー

ジェラール・ドパルデュー、ファニー・アルダン

安定と平穏に満たされた結婚生活を送っていたドパルデューの元に、過去の女が現れる。その過去の女とは、「一緒にいたら破滅するが、一緒でなければ生きられない」という運命の女であり、(おそらくはそれなりに苦労して手に入れたであろう)「幸福」というベールを剝ぎ取ってしまう、真実の女である。彼女と再会してしまったら最後、元には戻れない。

かつてヌーヴェルバーグを牽引した監督達は、7-80年代の成熟期において、ブルジョワ一家の一件「平穏」で「幸福」な生活が、身体の奥底に隠していたはずの激しい情愛によって崩壊する/しそうになる過程を描いている(分野を超えた普遍的なモチーフでもあるだろうが)。シャブロルは一貫してそうだし、ロメールは『昼下がりの情事』を撮っている。『昼下がりの情事』と同様、本作もまた、妻はブロンドのショートカットで、ファムファタルは黒髪ロングである。

この映画を見たのは約10年ぶりで、10年前も破格の傑作であると思ったが、再見してもその確信は揺らぐことがなかった。
ルプシャンスキーの撮影には寸分の隙もない。ドパルデューの情欲が頂点に達して半ば心神喪失したかのようにファニー・アルダンに手をあげてしまう、名高いシーンがあるが、そこに至る直前、ドレスが破れて部屋に着替えに行くアルダンを追いかけるように、ドパルデューが家の中に入ってくる。このときの室内照明が凄い。

それにしてもドパルデューのキレ芸というか、ヤケクソ感丸出しの暴走演技は、『ソフィーマルソーの刑事物語』なんかでもやっているように、この人にしか出来ないものだろう。