2014年9月23日火曜日

プロミスト・ランド

監督:ガス・ヴァン・サント

アヴァンタイトル。レストランの洗面所での洗顔シーンから続いて、マット・デイモンをフォローしたカメラは天井に向けてティルトアップして、カットを割ってマット・デイモンがぐるっと一周回って席に着くまでを、横移動で捉える。この時、食事をして談笑する客、あるいは息の合ったコンビネーションでテーブルクロスをさっと敷くウェイターが手前に捉えられているのが素晴らしい。続く夜のハイウェイの俯瞰ショットが幻想的で美しい。かと思えば、舞台となる町の、ハル・ホルブルックの納屋の内側から外を捉えたタイトルショットも素晴らしい。
こうやって始まる映画。こんな素晴らしい始まり方をする映画なのだ、これは。


町長とマット・デイモンがカフェで落ち合うシーン。
ここでは、最初に町長が乗り気な風を見せているが、ウェイトレスがコーヒーを持ってきたのをきっかけとして、マット・デイモンに対する不信感をあらわにする。この転換の前後に、二人を横から撮ったショットがインサートされるが、最初は窓ガラス側から二人を撮っていて、今度は逆側から、つまり逆光で二人を撮っている。二人の会話が、まさに陽から陰(逆光)へと転換する。という演出だろうか、これは。
こんな小手先のテク。いや、これが良いのだ。

上記したシーンでは、ウェイトレスが注文を取りに、コーヒーを運びに、そして伝票を渡しに、二人の席にやってくるわけだが、本作では基本的に、誰かが話してると、誰かがやってきて、物語が動く、ということを割と徹底していて、小気味が良い。
冒頭のマット・デイモンと上司の会話中に遅れてやってくるお偉方、体育館の集会終わりに入ってくるバスケチーム、マクドーマンドの歌唱後にいきなり舞台に上がるジョン・クラジンスキー、マット・デイモンとクラジンスキーの会話中に店に入ってくるローズマリー・デウィット、、、別に物語が動いてるわけではないか。でも、一個一個のシーンが中心化されないというか、そういう面白さがある。


マット・デイモンとローズマリー・デウィットの関係性はとっても素晴らしい。それは画面が素晴らしいのだ。
まず、二人が初めてバーで出会うシーンで、気軽に話し始める二人を、最初カメラは「ほぼ内側」(というのも、マット・デイモンの頬はちょっとだけ映ってる)から捉えているのだが、ローズマリー・デウィット(いい名前だ)が一歩マット・デイモンに近寄る瞬間にさっと引いてフルショットで捉えると、それ以降の切り替えしは二人を同一画面で撮っている。文字通り二人の距離グッと近づいた、という。
それと、誰もが賞賛するであろう、デウィットの家の、玄関まで続くあの傾斜。そしてその傾斜をマット・デイモンが歩いていくのをまったく同じ移動ショットで反復する演出の素晴らしさ。
この、歩く、とか、走る、とかが、反復される映画に弱いのだけど。たとえばロッセリーニの『不安』だとか、『夜よ、こんにちは』であるとか、『エレニの帰郷』(は、同構図ではないが、むしろ180℃反対のショットでイレーヌ・ジャコブの歓喜の走りを反復している)であるとか。ああ、このショットに、この動作に、このカメラワークに、何かが託されている、という感覚。はっきり言えばもうこのショットだけで、大満足と言ってよい。
地味な題材でありながら数えきれない細部が映画を盛り立てる。しかし何よりマット・デイモンとマクドーマンドの掛け合いが素晴らしい。

ジョン・クラジンスキーがハル・ホルブルックに”証拠写真”を提示するショットの古典的な感覚が面白い。
それと、ラスト近くで、マット・デイモンが少女の売るレモネードを買うシーンでは、マット・デイモンが渡すお札、そして少女が返すお釣りがそれぞれ「クシャクシャ」、「チャリンチャリン」という印象的な音を立てている。

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