2014年6月6日金曜日

プリズナーズ

監督:ドニ・ヴィルヌーヴ

(ややネタバレ)
ヒュー・ジャックマンとテレンス・ハワードの、それぞれの娘が姿を消す。雨の中を探し回ってきたらしいジャックマンの息子が家に入ってきて、「雨だし、たぶん外にはいないだろう」と告げると、まだ単なるイタズラだと思っているハワードが、「帰ったらお仕置きしないとな」と笑う。カメラはそのままカットを割らずに、リビングに向かう息子をフォローしながらパンすると、ちょうどヒュー・ジャックマンが戻ってきて、「家にいなかった」と告げる。この一言で緊張感が走り、二つの家族が一か所に集まってくる。するとジャックマンの息子が「さっき怪しいRV車がいた」と打ち明け、それだ!という感じで男たちが家を飛び出す。
上記の展開が、ノーカットで撮られる楽しさ。ここの撮影楽しかっただろうなー、というのとは別に、物語が動き出す重要な場面で、このように監督が「ワンショットで撮る」という一工夫を入れてくれている、といううれしさが大きい。だからこそ、物語が走ると同時に、映画も走る。

映画は知的障害の容疑者を拘束して拷問するヒュー・ジャックマンと、捜査を続けるジェイク・ギレンホールを描き分け、時に二人は対峙するわけだが、とりわけジェイク・ギレンホールのパートが素晴らしい。ギレンホールの佇まい、異様なマッチョぶり、オールバックの髪が崩れたときの妙なクールさ、あるいは激高したときの迫力ぶり。ジャックマンのパートが拷問の是非をめぐるめんどくさい道徳バナシに陥りそうになるなか(あまり陥っていないのが素晴らしい。よく耐えてるというか。上から目線だが笑)、ギレンホールの周辺では次々とご都合主義的にイベントが発生し、それに見事な迫力と俊敏さでギレンホールが対処する、その連続であって、つまり痛快アクション映画なのだ。
撮影もそれを見事にサポートする。特にとっさの判断で模倣犯を捕まえる一瞬のアクションとカットさばきが素晴らしい。
「あ、久しぶりにこういう刑事モノ見たな!」という気分にさせてくれる。

あるいは車のフロントドアを突き破る木の枝、壁につきささったハンマーの存在感。

映画の主題は、「耳をすませば」である。冒頭、子供たちがRV車に誰かが乗っていることを察知するのは車内から音楽が聞こえてくるからだ。閉じ込められたものの叫び、そしてラスト。
こうした目に見えない領域からのかすかな音に耳をすませる、というテーマ性が、この物語上のミステリーの核心部分と共鳴しているあたりに、作家としての野心を感じるが、しかしこの映画は「耳をすませる」以上に「目をこらす」映画だ。僕はラストのギレンホールの車の疾走のことを言っているのだが、ここでは直前の銃撃戦で頭部を負傷したために視界がかすんでしまったギレンホールが、それでも子供を救うために、懸命に目をこらして運転をするという感動的な描写がなされている。彼が寸でのところで発見する”Emergency”の文字の輝きは一体なんだ!

目をこらして、懸命に前を見つめること。

僕は今まで、「見ること」なんて言われても胡散臭い映画史的教義としか思っていなかった。”見ること”というコトバに反応してるだけじゃないか、と。
しかし違った。
見る姿、見ようとする姿、そこには純粋なエモーションがあった。ジェイク・ギレンホールがそれを教えてくれた。ありがとう、ギレンホール。

それとその直前の、ギレンホールが子供を抱え上げて倉庫から連れ出すショットがむちゃくちゃ良い。
この映画、本当に良いよ。保証するわ。



※時々監督はロジャー・ディーキンスなのではないか、というショットが随所にある。たとえば最初にジェイク・ギレンホールがRV車を発見する場面の光の感じだとか、あるいは子供たちの無事を祈って町の人々が蝋燭を持って集まってくる場面の光の配置だとか、あるいはモーターボートからのクソ無意味な撮影。

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