2012年6月27日水曜日

2012年上半期の映画を(見た範囲内で)振り返る


上半期は春休みに海外行ってた事もあって、序盤はなかなか映画見る時間が無かったのだが、まぁとりあえず2012年上半期に仙台で公開された映画のベストな。
1.ドラゴンタトゥーの女
2.J・エドガー

3.メランコリア
4.SHAME シェイム
5.幸せへのキセキ

6.ラビットホール
7.おとなのけんか
8.永遠の僕たち

他はつまんなかったかな。

適当に寸評すると、

『ドラゴンタトゥーの女』
スタイリッシュという死語を思わず復活させたくなるほどにカッコよくエッジの利いた画面の数々を追っているだけで楽しい作品。
オシャレな建築、橋のショット、回想シーンのドギツい色彩の使い方、リズベットのバイク走行、などなど、ワンカットワンカットが胸躍るゴージャスな画面の連続で、もうこの映画を見ながらなら死んでもいいと思えるほどの贅沢な2時間40分笑
あともちろん、主演二人が最高だったね。

ちなみにデヴィッド・フィンチャーは『ソーシャルネット・ワーク』よりも『ゾディアック』の方がおススメね。
ゼロ年代ベストの一本。

『J・エドガー』
これまた至福の2時間15分。50年代と20年代のシーンが複雑に物凄い速さで交錯しながら(時に相似をなすショットを織り交ぜ)、J・エドガーなる人物とともに歴史の重みそれ自体をスクリーンに焼き付けた大傑作。
実に3人の人物が30年に及ぶこの映画のストーリーを運んでいくわけだが、とりわけエドガーの第一秘書を務め続けた女性を演じたナオミ・ワッツが物凄い存在感。実はこの秘書は映画内でしばしば、あまりにも強行的な姿勢をとるエドガーに不審な目を送るわけだが、それが終盤のあるシーンで、振り向きざまにエドガーへの忠誠を宣言する(「決して表には出しません」)。このシーンの圧倒的強度ね。
つまりそれまで、エドガーの強硬ぶりと秘書の若干の疑心を軸に進行していた映画の表情がここに来てガラっと変わる。映画を見る醍醐味とはこれ。ワンショットでこちらの認識が大転換するというね。それと同じ意味において終盤のエドガーとクライドのやり取りにも心を打たれる。




『メランコリア』
カットが割られ、画面が切り替わるたびに、人々が新しい側面を露呈する。
みなが風船を浮かばせて喜ぶ中、サッとカメラがパンしてシャーロット・ランプリングの姿を捉える瞬間とか、あるいは前方を歩くキルスティン・ダンストと玄関で子供と戯れるキーファー・サザーランドを同時に画面に捉えた、不気味な予感に満ちた俯瞰ショット。
ラストも、わかってても鳥肌モンの衝撃。


『SHAME』
セックス版『ヒストリー・オブ・バイオレンス』とでも言うべき作品。『ヒストリー~』では、男が自分でしでかした突発的な暴力を、その暴力の結果=死体のショッキングなショットに露呈させる演出であったのに対し、こちらは直前の出来事と現在のシーンをぶつ切りに混在させることで過去と現在を同時に放り込む演出がしばしばとられる。
あと巧いのが、バーで知り合った女と落ち合うシーンね。酔っ払った上司をタクシーに乗せて帰らせるという律儀な姿勢を見せつつ、そこからカットが割られることなく、女の車に即効で乗るファスベンダーを切り取るっていうね。この人物の一側面(律儀な部下)から別の側面(セックス依存症)への移行をワンショットで連続的に見せるのは、『キラーインサイドミー』とかでも見られた演出かな。

特筆すべきはマイケル・ファスベンダーがキャリー・マリガンの歌を聴きながら涙を流すシーンの素晴らしさね。ここで映画が新しい表情を見せる。だから驚くと同時に感動的。
一方でこのような演出が終盤なりをひそめた感は否めないかな、と。例えば雨の中泣き崩れるファスベンダーの姿は、物語上予測される「セックス依存症をやめられない苦痛」という感情をただただ表象しているに過ぎず、この姿が我々の認識をゆさぶるわけではない。そこらへんがちと惜しい。


『幸せへのキセキ』
マット・デイモンが動物園の購入を決意する瞬間を、娘がとびきりの太陽光に包まれて動物たちにエサをやるショットだけで描くこと。
ストーリー上の重要な転機を、ワンショットだけで納得させてしまえる剛腕っぷりが素晴らしい。
あとはエル・ファニングがマジで(ry


旧作では、『歴史は女でつくられる』、『ノスフェラトゥ』、『ある夜の出来事』、『木と市長と文化会館』、『吸血鬼』、『カンパニーメン』、『ショートカッツ』あたりがマジで素晴らしかった。



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