監督:ジャン・ルノワール
助監督:ルキノ・ヴィスコンティ
先日、岡田温司『ネオレアリズモ』を読んでいたら、ヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の分析において、つねに背景にポー川のせせらぎや農作業の風景が映っており、心象風景として機能しているというようなことが書いてあった。その妥当性はよくわからないが、ヴィスコンティが助監督を務め、ネオレアリズモを10年先駆けているという評判のこの映画においては、唯一、採石場のシーンにおいて、背景に労働者の姿が映り込んでいる。具体的には、崖になっている高地で主人公のトニとフェルナンが、トニが想いを寄せるジョゼファについて話している場面で、ここに採石場の管理人であるアルベールが割り込んでくる。このシーンでは、最初トニとフェルナンが横並びになって話しているところに、アルベールが入ってきて、そのタイミングでフェルナンが画面外に追いやられ、続いてアルベールに挑発されたトニがアルベールの胸ぐらを掴んで崖から落としてやるぞと凄むと、恐怖を覚えたアルベールがそそくさと内の方へと退散し、今度はアルベールとフェルナンが同一画面に収まり、このショットとトニ一人のショットが内側からの切り返しとして提示される。その背景として、採石場で働く人々の姿が、遠くの崖下に捉えられている。何なのか。よくわからないが、こんなに高低差のあるショットはこの映画においては、あと一つしかない。そのもう一つというのは、終盤で警察から逃げるために高架橋の上を走るトニを、フェルナンが見つける場面だ。このときは下から上への仰角ショットにより、一直線に走るトニの姿がフェルナンとの大胆な縦の構図で捉えれられることになる。まぁしかし、だから何なのか。わからない。
さて、この最後のトニの疾走場面は、先ほど述べたような高低差を意識させる構図で捉えられることで、その走行の一直線ぶり、水平ぶりがよくよく強調されている。この水平な運動はこの映画ではもう一つとても印象的な場面で出てくる。それが、トニの恋人であり、トニの気持ちが離れていることを悟ったマリーが、ボートに乗って湖をスーッと走行し、そのまま身投げする場面である。この場面は誰もが驚き、記憶するはずなので、あえて詳細には言及しないが、この場面の驚きは、それ以外のシーンがこれほど運動を持続的に撮らないからだろう。この映画では、ことあるごとに行動が中断し、移動中は誰かに遭遇するし、カメラと被写体の間には木々が生い茂っていてよく見えない。そんななか、このマリーの身投げの場面だけは、恐ろしいほどの見晴らしの良さが強調され、またショットも全然カットが割られず、誰一人マリーの移動を妨げない。うーん、これは素晴らしい。
あとは白いシーツを広げる場面の見事なカットつなぎ。ジョゼファがアルベールを撃つ時の真正面からの切り返し。などなど。
0 件のコメント:
コメントを投稿