2023年3月24日金曜日

逆転のトライアングル

 監督:リューベン・オストルンド

なんと適当な邦題。

オストルンドは以前どこかのインタビューで、「この人物はこういう性格だからこういう行動をする、というようなシナリオは書きたくない。人間であればこういう行動をとってしまうだろうというシナリオを書きたい」というような主旨の発言をしている。彼はヒッチコック主義なのだ。実際、彼の映画では(といっても近作の2本しかみていないが)、ちょっとした悪戯心が仇になって事態が悪化したり、その時々の衝動や偶然によって人物関係が(たいてい悪い方向に)変化していく。もちろん、そこにある種の現代人ならではの神経症的パーソナリティも絡むので、決して純粋な「巻き込まれ型」の映画というわけでもないのだが、事態を動かすために「心理」よりは「出来事」を用いるのは確かだろう。

本作でいえば、序盤にファッションのコレクションで、全員席を一つずつずれることになり、右端に座っていたカールがあえなく弾き出されてしまったときの情けない感じ、あるいはロシアの富豪に「プールに入れ」と言われて断れなくなる船の従業員など、オストルンドらしい描写が横溢している。後者の"I say, N,,N,,N,,I say Yes!"のところなんかは、『ザ・スクエア』のときのエリザベス・モスとクレア・バンズのやり取りを彷彿とさせ、オストルンド・ファンとしては嬉しい描写であった。

しかしながら、中盤の客船のパートについていえば、多くの場面は本人の言う「人間ならこういう行動をとるだろう」というよりは、「今どきの金持ちはこんな感じだろう」という描写に見えてしまい、そこまで弾けない。ウッディ・ハレルソンや、ロシアの富豪についてもキャラクター先行、かつ図式先行の感が強い。客室からインターナショナルがかかるというのは、オストルンドにしてはお寒いネタではないか。

とはいえ、船がいよいよ揺れているなか、食事が次々と運ばれ、客が嘔吐しているにも関わらず機械のように料理を運び続ける乗務員の描写などから、一気に不条理劇にテイストが変わっていく。ブニュエル的な不条理とも言えるが、デスメタルを流してトイレを爆発させるのがさすが笑 しかも大波にさらわれて漂流するのかと思いきや、実際に漂流する理由は全然違う、これなんかはなくてもいいような筋なのだが、こういうところも意地が悪い。

さて、島についてからは立場が逆転するという触れ込みだが、富豪の男どもは、そんなヒエラルキーの逆転など気にもせず、従うところは従って島の生活を楽しんでしまうのだから、なかなかしぶとい連中である。

島のパートはなかなか撮影が決まっている。赤い救命ボートのデザインがとても良い。夜のシーンではコントラストの強い画面が時に美しく、また森から聞こえる動物の鳴き声が<外部>を予感させる。スティック菓子を盗んだことがバレるシーンでは、男2人 vs 女3人の言い合いがあるが、このあたりのカット処理も見事なものだ。このあたりは、第I部のカールとヤヤのエピソードがそのまま島に来ても続行するような趣で、第I部も含めて、とにかくショットの構成が絶妙である。第I部で特に良いのが、レストランの場面で、ヤヤが立ち上がるとカメラが引いてレストランの全体を映すカットつなぎ。レストランからタクシーに乗る場面ではばっちり雨が降っている。エレベーターのシーンではエレベーターが閉まりそうなところでカールが何度も手を挟んでくる描写が笑える。

全体としては、「クソ」だらけの資本主義社会の外部で主従関係が逆転するかと思いきや、そんな外部はありませんでしたという皮肉で、『地獄の黙示録』、『アド・アストラ』的な主題が通底している。

前作にあったような、「意味がよくわからない/なにが起きているのかわからない、視野が限定された断片的なエピソード」が減ったのはアメリカ資本ゆえだろうか?そこが少し寂しいといえば寂しいのだが、しかしオストルンドの腕前は健在とみた。

ヤヤを演じたチャールビ・ディーンは昨年急逝。ご冥福を祈ります。




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